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徳島県西部の山間地帯に位置するにし阿波地域は、「そらの郷(さと)」とも呼ばれ、古き良き日本の姿をそのまま残している。
山深い集落、かずら橋や古民家をはじめとする昔ながらの建造物、
そして神々への感謝や祈りを捧げる祭りなど、訪れた人に「日本の原風景」を感じさせる場所だ。
平成30年3月、この「そらの郷」に嬉しいニュースが舞い込んできた。
この地域で古くから営まれている傾斜地農業が、国連食糧農業機関の「世界農業遺産」に認定されたのだ。
世界農業遺産は次世代へと継承すべき伝統的な「農林水産業システム」という無形の資産に対して与えられる。
今年、「にし阿波の傾斜地農耕システム」が認定されたことで、国内の登録数は11カ所となった。
中四国で初めてとなる快挙の舞台となった「そらの郷」は、どのような場所なのだろうか。つるぎ町へと足を運んだ。
地図

茅(かや)をすき込んだ
急傾斜地でそばや野菜を栽培

 「そらの郷」では、急な斜面をそのまま農地として活用している。10世帯ほどが生活しているつるぎ町猿飼(さるかい)集落は、傾斜地農業が受け継がれている地域の一つ。標高300メートルの山間にある畑では、西岡田治豈(にしおかだはるき)さん、節子さん夫妻がそばや野菜の栽培を行っている。西岡田さんのそば畑は、傾斜が25度以上もあり、頂上に立つと転がり落ちそうになる。しかも足場はフカフカと軟らかく、一歩踏み出すのもためらわれるほどだ。「この軟らかな土は、耕しやすい反面、雨が降ると流れてしまうという欠点があります」と治豈さん。
 傾斜地の農業といえば棚田や段畑が知られているが、「そらの郷」には石積みをしている田畑は少ない。その理由はこの土壌の軟らかさにある。水を吸収しやすいため、雨や風を受けると石積みが崩落してしまうのだ。そのことに気付いた先人たちは、茅を土の中にすき込んで土留め(どどめ)に使ったという。茅は肥料にもなるため一石二鳥。先人の知恵が生み出した独自の手法だ。
 そばは8月末に種を蒔き、収穫は11月初旬。そばが終われば、玉ねぎや絹さや、大根、白菜、シシトウなどを栽培している。植え付けや収穫の際には、ご近所の方が手伝いにきてくれる。節子さんら女性陣が刈り取ったそばは、治豈さんが集めて、背負子(しょいこ)に載せて運ぶ。不慣れな人は転げ落ちてしまいそうな急傾斜地も、治豈さんにとっては慣れ親しんだ場所。その達者な足取りからは、50年の年季が感じられた。

お互いの身体を思いやりながら、急傾斜地での農作業に勤しむ西岡田さん夫妻

「子どもが幼い頃は、その辺で遊ばせていましたが、転げ落ちた子はいませんよ」と話しながら作業をする治豈さん

白く、可憐な花が満開となったそば畑。開花時期に合わせて、入園料500円で一般の方の見学を受け入れている

急傾斜地のそば畑は山間にあるが、日当たりがよく、作物の栽培に適している

収穫作業の合間に、茶菓をいただきながら一服。昔ながらのコミュニティーが、地域の営みを支えている

刈り取ったそばは、約2週間、「ハデ掛け」により乾燥させる。その後、叩いて落とした実を鍋で炊き、ムシロで乾かして脱穀乾燥したものが、ご当地食材の「そば米」

山間に槌音(つちおと)を響かせながら
農林業を支える道具作り

 傾斜地農業には独特の農具が使われている。茅で抑えきれず下部に流れ落ちた土を元に戻すための作業に用いられる「サラエ」、畑を深く耕すための「テンガ」や「フタツバ」、雑草取りや作物収穫に使用する「ササバ」や「ミツゴ」などだ。これらの農具を作っているのが、つるぎ町明谷(みょうだに)集落の大森豊春(とよはる)さんだ。大森さんは農村を支える野鍛冶(のかじ)である。
 野鍛冶とは農具や山林刃物、包丁など暮らしに欠かせない刃物を作る職人のことで、かつては『集落毎に鍛冶屋がある』といわれるほど、多くの職人がいた。若き日に高知県内で土佐打刃物の職人に技術を教えてもらった大森さんは、今や「そらの郷」でただひとりの野鍛冶として注文や修理をこなしている。
 農具は、コークスの炎で鋼や鉄を溶かして、槌で叩いて成形する。樫の木などを用いる農具の柄も自作しており、年間300本ほどを製造している。「急傾斜地の農業を支えるために、これからも頑張っていきたい」と話す大森さんは、山間にカンカンと槌音を響かせている。

サラエにより、流れた土をすくい上げる作業。急傾斜地ならではの光景だ

大森さんが作った農具の一例。左からササバ、フタツバ、テンガ、サラエ

成形は経験だけが頼り。特に図面などは用意していないが、ひと槌ごとに形が作られていく

伝統行事の継承のために
地域の子どもたちが活躍

 世界農業遺産認定においては、地域に受け継がれている伝統行事も評価の対象となった。旧暦6月25日(今年は8月6日)に三好市西祖谷山村の善徳天満宮神社で行われている「西祖谷の神代踊(じんだいおどり)」は、1,100年以上前の雨乞いが起源とされている。国の重要無形民俗文化財に指定されており、集落の人々が法螺貝(ほらがい)や太鼓、鉦(かね)に合わせ輪になって踊るというもの。平成29年には三好市立櫟生(いちう)小学校の全校児童も祭りに参加して大いに賑わった。「初の試みでしたが、とても華やぎました。ぜひ、これからも子どもたちに参加してほしい」と西祖谷山村神代おどり保存会の平岡忠儀(ただよし)会長は顔をほころばせる。

国の重要無形民俗文化財に指定されている「西祖谷の神代踊」。女性は揃いの浴衣に、美しい花笠を身につけて踊る

不思議なことに踊りの最中に雨が降り出すことが多いという。平成29年も、全員が輪になって踊っていると雨が降り始めた

老翁や天狗、獅子の面を付けた踊り手が、露払い役として先陣を切って踊る

 そば農家の西岡田さん夫妻が暮らす猿飼集落では、いったんは休止された伝統行事が復活した。同じように子どもたちが盛り上げに一役買う「お亥の子さん(おいのこさん)」だ。猿飼の名物や名所を歌い込んだ「亥の子歌」に合わせて、子どもたちがカズラを結びつけた「タテヅキ(木の幹)」を上下に動かして五穀豊穣を祈願する伝統行事だ。150年以上前から行われていたが、平成3年に端山(はばやま)小学校・猿飼分校が休校(後に廃校)になり、取りやめとなった。その復活を願った西岡田さんら住民は、「何とかもう一度お亥の子さんを」と自治体に働きかけて、平成27年に貞光(さだみつ)小学校の協力を得て再び行われるようになった。
 旧分校の校庭や集落の家々を回り、家の縁側では、「イイチンタラ」と呼ばれる道具を叩きつける。タテヅキやイイチンタラも、治豈さんがこの日のために用意したものだ。「子どもたちの元気な声が、日頃の苦労を吹き飛ばしてくれます」と治豈さん。大役を終えて、節子さんお手製の「そば寿司」を頬張る子どもたちも、「みんなで練習した歌を上手に歌えて良かった」と満足そうだ。そこには「そらの郷」の伝統行事を受け継いでいこうとする子どもたちの姿があった。

長さ35㎝ほどの樫の木の幹に、放射状にカズラを結びつけたタテヅキ。子どもたちは「亥の子歌」に合わせてカズラを上下させ、タテヅキを地面に叩きつける

里芋の茎を荒縄でぐるぐる巻きにしたイイチンタラで縁側を叩き、五穀豊穣を祈願する

大役を終えた子どもたちは、そば米の食感が「プチプチとしておいしい」と大喜び

そば米を白米に混ぜたそば寿司。「亥の子寿司」とも呼ばれている。ハレの日のご馳走だ

世界農業遺産認定への道のりとこれから

 認定への活動は、平成26年7月に「そらの郷」の2市2町(美馬市、三好市、つるぎ町、東みよし町)とJA美馬、JA阿波みよしが「徳島剣山世界農業遺産推進協議会」を設立したことから始まった。そこで事務局があるつるぎ町役場商工観光課を訪ねて、認定に尽力した大島理仁(まさひと)課長補佐の話をうかがった。

申請のきっかけは

 先人の素晴らしい知恵や独特の文化を未来に継承していくために、「世界農業遺産の認定により、国内外から山間の農業文化が見直されて、地域にもう一度光を取り戻したい」と考えたのがきっかけです。

認定までで最も苦労したことは

 地元の農業の素晴らしさを知り、世界農業遺産認定への気運を高めることです。「そらの郷」は広域ですし、認定の基準は多岐にわたっています。たくさんの方に「認定を目指す」という想いを持ってもらうために、平成27年3月に、つるぎ町で住民に向けてのシンポジムを開催しました。これを皮切りに、2年間で5回実施しました。また、傾斜地農業を知ってもらうために、そば畑の見学ツアーも企画。そばの花が咲く10月、20日間で100人以上が参加し、傾斜地農業の様子を知っていただくことができました。こうした取り組みを経て、平成29年3月に農林水産省の日本農業遺産認定地域となり、その1年後に世界農業遺産に認定されたときには、皆で喜びを分かち合うことができました。

今後の課題と解決の方策は

 最大の懸案は後継者問題。農業や野鍛冶、伝統行事を未来につないでいくために、協議会ではUターンやIターンの促進に力を入れていこうとしています。また、「そらの郷」の応援団ともいえる「地域のパートナー」を募集しています。

「地域のパートナー」とは

 地区内外の企業や団体が「地域のパートナー」として登録し、「そらの郷」の営みをさまざまな形で活用していただく制度です。ある企業では、新人研修として農業体験を行いました。これにより農家は農業の魅力を伝えることができ、企業側は社員の育成に役立てることができました。
 また、パートナーの一つである大阪コミュニケーションアート専門学校の学生は、傾斜地農業のPR映像を制作してくれました。こうしたサポートを力にして、「そらの郷」の営みを未来へとつなげていきたいと考えています。

お問い合わせ

● 徳島剣山世界農業遺産推進協議会事務局(つるぎ町役場商工観光課内)

住所

徳島県美馬郡つるぎ町貞光字東浦1-3

電話番号 0883-62-3111