ライト&ライフ6月号
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の値段は据え置きにしたので、売れば売るほど赤字になる状況だったが、久治さんは頑として譲らず、この素材にこだわり続けた。 知也さんが久治さんと一緒に仕事をしたのは5年余り。久治さんは、引退後も時折、店に顔を出すなど、「うすかわまんじゅう」を笑顔で頬張っていたが、平成25年に90歳で他界した。祖父を失い、知也さんはいっそう気が引き締まった。今も知也さんは、祖父から教えられた通りの餡作りを守り続けている。水に浸けておいた小豆を大釜で、煮こぼしながらゆっ戦争が終結した明治38年頃から数年間にわたり全国で歌われた流行歌だが、各地で替え歌も流行ったという。八幡浜市では「新町通れば宮川のうすかわまんじゅうが気にかかる、ひとつ食べたしカネはなし、思えばよだれが先に立つタカタタッタ」という歌詞が歌い継がれた。その由来ははっきりしないが、「明治時代の新聞広告にこの替え歌が掲載されたとも聞いています」と四代目の憲三さんは話す。かつて「うすかわまんじゅう」が、人々の憧れの品であったことをうかがわせるエピソードだ。 そんな歴史ある老舗は、時代に応じて新しいお菓子作りにも挑戦してきた。昭和の半ば、八幡浜市くり炊き上げる。煮こぼしは3、4回行うが、この工程により渋みやアクが抜けて、ふっくらと炊き上がる。その皮を剥むき、砂糖を加えて練り上げたら完成。丸1日かかる作業を、週に2、3回行う。柔らかな餡を皮で包み、ふっくらと蒸しあげたら「うすかわまんじゅう」の完成だ。ずっしりと詰まった餡の上品な甘さ、もっちりとした薄皮の食感も絶妙で、店頭に並ぶやいなや飛ぶような勢いで売れる。 八幡浜市のお年寄りが、「うすかわまんじゅうと言えば…」と、今でも口遊ずさむのが『ラッパ節』。日露で初めて生クリームを使ったケーキを提供したのもこの店。五代目はパティシエとしての経験を生かし、モダンな洋菓子作りにも取り組んでいる。「うすかわまんじゅうを守りながら、和洋にとらわれず素材の持ち味を大切にしたお菓子で人を笑顔にしたい」と話す知也さん。そこには、久治さんをはじめとする代々の職人魂が確かに受け継がれている。『ラッパ節』の時代から今も愛され続ける銘菓手間暇かかる餡作りは祖父の想いも受け継いで■宮川菓子舗愛媛県八幡浜市新町4-282-40894-22-1120営業時間/9:00~19:00定休日/水曜日駐車場/有り八幡浜港千丈川道の駅八幡浜みなっと八幡浜警察署至宇和島八幡浜駅JR予讃線至大洲新町商店街八幡浜市役所愛宕山公園八幡浜高校宮川菓子舗378378271何度も煮こぼし、丁寧に皮を剥いて仕込んだ餡は程よい粘りが出てくる 2蒸しあがった柔らかな「うすかわまんじゅう」は一個ずつ、手作業で包装する 3宮川菓子舗は家族経営。左が知也さん、中央が憲三さん 45和菓子と洋菓子が並ぶ店内。いちごショートやロールケーキなどの洋菓子も人気6店内に掛けられているのは、二代目の大吉さんと親交のあった森永製菓の創業者・森永太一郎より贈られた書「終始一貫」7「うすかわまんじゅう」は、全国菓子大博覧会で昭和59年に厚生大臣賞、平成14年に名誉総裁賞など数々の受賞歴がある1234657「和田の屋」と「宮川菓子舗」の和菓子の詰め合わせセットをそれぞれ10名さま合計20名さまにプレゼント2020.066

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