1_研究者だけではなく市井の植物愛好家とも交流を深める契機となった植物採集★2_開花すると手を広げたようになる「ヤッコソウ」。その名を富太郎が名付けた★3_1939年(昭和14)9月8日、77歳の富太郎を写した『ボウブラ(かぼちゃ)と先生』★4_50周年記念庭園の美しい春の眺め★★…高知県立牧野植物園 提供牧野富太郎の生涯1862年(文久2)/土佐国高岡郡佐川村(現・高知県高岡郡佐川町)の裕福な商家(岸屋)の一人息子として生まれる1874年(明治7)/佐川小学校に入学するが2年後に自主退学(12歳)1877年(明治10)/佐川小学校授業生(臨時教員)となる(15歳)1884年(明治17)/上京。東京大学理学部植物学教室への出入りを許される(22歳)1887年(明治20)/市川延次郎(後に田中と改姓)、染谷徳五郎とともに「植物学雑誌」創刊(25歳)1888年(明治21)/「日本植物志図篇」の刊行を開始。壽衛と所帯を持つ(26歳)1889年(明治22)/「植物学雑誌」第3巻第23号に大久保三郎と日本で初めて新種「ヤマトグサ」に学名を付ける(27歳)1893年(明治26)/帝国大学理科大学助手となる(31歳)1909年(明治42)/新種「ヤッコソウ」を発表(47歳)1912年(明治45)/東京帝国大学理科大学講師となる(50歳)1927年(昭和2)/東京帝国大学より理学博士の学位を受ける(65歳)1940年(昭和15)/「牧野日本植物図鑑」発刊(78歳)1951年(昭和26)/第1回文化功労者に選定(89歳)1957年(昭和32)1月18日/94歳で永眠。没後、文化勲章を授与される※現東京大学(文中の牧野富太郎の年齢は満年齢に統一しています)※34122※※2023.03
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