んいてい 4※4点とされる説もある。けて、エル・グレコは『受胎告知』などイエス・キリストの誕生から復活までを6点(※)の絵画で構成する大祭さ壇だ衝つ立た画を完成させた。しかし19世紀初頭のナポレオン戦争により祭壇は破壊され、絵画は散逸されてしまう。「現在、6点の絵画は2カ国の美術館が所蔵しており、もともとの展示風景で観ることは叶いません。しかし当館では、高さ約13mの祭壇も含めた展示を行っています」との山側さんの言葉通り、地下3階「エル・ 「大グレコの部屋」には、今や幻となった世界が出現している。 同様に、現実にはない世界観を体験できるのは、レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』。高さ4・2m、幅9・1mもある大作が、相対する壁に2点展示されている。1点は1977年(昭和52)までの姿、もう1点は1999年(平ともとイタリア・ミラノにある修道院の食堂に描かれたもの。湿気などの影響を受けてカビの発生や劣化が激しく、何度も修復や描き足しが行われていました」と山側さん。それをオリジナルの状態に戻そうと、20年以上をかけて大修復を敢行し、当時の色を取り戻した。2つの絵を見比べると、さまざまな発見がある。過去と今の作品を見比べるという楽しみ方は、この美術館ならではといえる。国際美術館」の誕生には、多くの苦労があり、準備に約10年を費やした。最大の困難となったのは、名画を忠実に再現すること。作品制作は、原画の写真を何枚も成11)以降の姿だ。「この作品はも釉ゆタうッ薬やくチををひ表と現筆すずつるのたせめてに、焼特く殊とない撮影することから始まる。写真から分版した専用の転写シートを陶板に重ね、1,000度を超える窯で約8時間かけて陶板に絵を焼き付ける。そして原画の色合いやう過程を何度も繰り返し、ようやく完成にいたる。もう1つの困難は、立地にあった。美術館は瀬戸内海国立公園内に位置していたため、建設にあたっては厳しい制約を受けた。景観を損ねることがないよう、地上に出ている展示室は2階のみで、大 部分は地下にある。山を掘って地り、工事後に山の木を植え直した。手間もコストも非常にかかったが、初代館長の故大塚正士が「この場下3階分の展示スペースをつく作品と建物の準備に費やした時間と苦労08091008_地下3階の「エル・グレコの部屋」。正面が大祭壇衝立画、右が『聖マウリティウスの殉教』、左はエル・グレコの最高傑作ともいわれる『オルガス伯爵の埋葬』111209_ゴッホの作品を間近で観ると、作品の立体感がよくわかる。ゴッホの力強い筆使いを見事に再現している(『芦屋のヒマワリ』P6参照)10_重要な鍵を握っているのは、技術者の手仕事によるレタッチ(加筆・修正)。独自の技術と職人技の融合により、陶板名画が完成する★(写真:大オーミ陶業株式会社提供)11・12_上が修復前、下が修復後の『最後の晩餐』。2つを見比べると修復後は、ぼんやりとしていた人物の表情や身振りがより鮮明になり、「裏切り者がいる」と告げたときのキリストの口元、弟子たちの驚きや狼狽もよりリアルに伝わってくる2023.05★…大国際美術館 提供
元のページ ../index.html#5