ライト&ライフ11月号
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港に近い立地と良水が育んだ醸造蔵明治時代に始まった三津浜の人形浄瑠璃ょうきょう かつての三津浜港は、荷揚げ港であり、積出港でもあった。その時代の名残りが、地区内にある醤油蔵。「港の近くにあれば原料を荷揚げしてすぐに製造でき、製品の出荷も楽。だから酒蔵や醤油蔵は港の近くにあることが多く、三津浜も例外ではありません」と話すのは、1905年(明治38)創業の「田中屋」三代目・田中一生さん。戦前の三津浜には醤油蔵だけではなく、酒蔵や造酢蔵も複数あったそうだが、それを支えたのは港の近さだけではない。三津浜一帯には地下水脈があり、良質な水に恵まれていたことも理由の一つ。「今もこの狭いエリアに、うちも含めて4軒の醤油蔵が残っています。三津浜は醸造の町でもあるんです」と田中さん。 田中屋の看板商品は約2年かけて長期熟成した純正醤油。時間をかけることで、丸大豆に含まれている油分も、菌や酵素の働きで旨味成分に変わっており、味わいはまろやか。田中さんは伝統を守るだけではなく、新たな挑戦も行っている。その一つが搾りの工程で圧力を一切かけず、自然に滲み出た醤油の一部だけをボトリングした「田中屋・Premium百年蔵醤油」。100㎖1,080円(税込)という価格ながら、三津浜の名物として売れ行きは好調だ。港は、人や物だけではなく文化   ょ3の入り口でもある。人形浄じ瑠る璃りも1736年)、三み穂ほ神社(現在の三津恵え美び須す神社)の祭礼で、淡路島の一座を招いて人形浄瑠璃を上演したこと。明治時代になり、地元民が之の丞じう」とし、現在は「伊予源之丞自前の一座「宝来座」を立ち上げた。一時期は九州や上海で巡業を行う人気一座となったが、1923年(大正12)に行った朝鮮巡業に失敗。一座は解散してしまう。しかし、これを惜しむ人たちが、保存会」がその技を伝承している。会長の岡田正志さんは、「宝来座0809121410_昔ながらの製法を守り続ける「田中屋」の作業場11_リノベーションした蔵は「第10回まつやま景観賞」で大賞を受賞12_圧力をかけずとも滲み出る醤油13_右が「田中屋・Premium 百年蔵醤油」、左は「田中屋・純正濃口醤油」14_「Premiumは海外からも引き合いがあります」と話す田中さん(「田中屋」/松山市三津3-1-33 089-952-2252 営業時間/8:30〜17:00休み/土・日曜日、祝日)13101108_1930年(昭和5)頃の三津浜。中央付近に見える円形の建物は魚市場だ(提供/ミツハマル)09_藩政時代に掘られ、昭和初期の上水道整備まで使われていた■井戸跡。周囲は憩いの公園になっている発海を端渡はっ享て保ほ三う年津間浜(に1入7っ1て6き年た~。1成9し3た5。こ年(の昭と和き10、座)に名一を「座伊を予再源げ結ん

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