3つの日本一を誇る「とさでん」の電車特色のある車両は「とさでん」の名物※1:2014年(平成26)に土佐電気鉄※2・3:いずれも路面電車として日本一。道と高知県交通、土佐電ドリームサービスの3社を統合し、とさでん交通株式会社となった。 とさでん交通株式会社(以下:とさでん)は、1904年(明治37)に土佐電気鉄道株式会社(※1)として路面電車の運行を開始。今年、120周年を迎えた。 とさでんの路面電車は、JR高知駅から桟橋通に向けて南北に延びるほか、東西は南国市、吾川郡いの町にまたがって走行。路面電車でありながら市域を越えて走行している珍しい電車だ。「とさでんには、3つの日本一があるんですよ」と話すのは、電車事業部電車企画課の高橋美穂さん。1つ目は現存・継続している路面電車としては日本最古であること。とさでんの運行開始は全国で10番目であったが、時代の流れの中で先発の路線が廃3 2㎞つと目日は本、最軌長道(路※線2距)で離あがる約こ25・と。止されたため、現在は日本最古の路面電車となっている。路面電車は一般的に短距離の旅客輸送手段。なぜ、これほどの距離を走っているのか。その理由として考えられるのが、運行開始時、電車が旅客輸送とは別の大事な役割を担っていたこと。「いの町の特産品である土佐和紙を、高知市の桟橋にある船着場まで運搬するというのが、電車運行の目的だったといわれています」と高橋さん。電車がない時代、紙の輸送手段は馬車や手押し車。港のある桟橋まで運ばれた和紙は、船便で京阪神へと出荷されていた。労力もコストも時間もかかっていたが、電車開通により港までの輸送は一気に負担が軽減された。電車はいの町の製紙業の発展にも一役買っていたのだ。3つ目は、日本最短(※3)の電停間の距離があること。一条橋駅と清和学園前駅は、約れていない。1985年(昭和60)に清和女子中高等学校が高知市から南国市へ移転した際、生徒の利便性を考慮して清和学園前駅を新設。一方で地域からは「慣れ親しんだ一条橋駅を無くさないでほしい」との声が多く、このような形になった。乗降客が多ければ、2つの駅の間は歩いた方が早いこともある珍名所となっている。しか離とさでんの代名詞にもなって 3いるのが、鉄道ファンを魅了する外国電車である。1990年(平成2)に導入されたのは、ポルトガルのリスボンで走っていた車両。1947年(昭和22)にイギリスで製造された車両だ。当時、「他の路面電車にはない特徴を出したい」と考え、買い付けを行ったという。01060203040501_1904年の運行開始時に走った第1号電車(提供:とさでん交通株式会社)02~04_現在はとさでんで走る、外国から導入された電車02:イギリスのCCFL社で製造されたリスボン市電の電車03:とさでんと提携協定を結んだグラーツ市電の電車04:大胆な流線形のデザインが目を引くオスロ市電の電車05・06_明治時代の電車を模して復元した「維新号」。台車は廃車となった321号を使用。車内に掛けられた注意事項も、明治時代のものを再現した63mとさでんとさでん交通株式会社とさでん交通株式会社とさでん交通株式会社交通株式会社
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