ライト&ライフ2・3月号
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020304☆=Ⓒやなせたかし ★=Ⓒやなせたかし/フレーベル館・TMS・NTV参考:『やなせたかしの世界』(公財)やなせたかし記念アンパンマンミュージアム振興財団01_あちらこちらでアンパンマンと仲間たちに出会える「やなせたかし記念館アンパンマンミュージアム(リニューアル前)」☆★02_ファッション面でも「ダン■」「老いドル」を楽しんでいたやなせたかし先生。晩年は病気と戦いながらも「よろこばせごっこ」を貫いた/写真提供:(公財)やなせたかし記念アンパンマンミュージアム振興財団03_「やなせたかし記念公園」は、記念館観覧後の休憩におすすめのスペース。公園は柚子の木に囲まれており、先生はここで採れた柚子を湯に浮かべていたそう☆★04_「やなせたかし記念公園」にある、先生自らを戯画化したやなせうさぎの像☆★22025.02-031946年(昭和21)中国より帰国。高知新聞社に入社(27歳)1953年(昭和28)三越を退職し、漫画家として独立(34歳)1967年(昭和42)「ボオ氏」で週刊朝日マンガ賞受賞(48歳)1972年(昭和47)絵本好きの漫画家と「漫画家の絵本の会」を結成(53歳)1975年(昭和50)雑誌「いちごえほん」創刊。編集長を務める(〜1982年)(56歳)1992年(平成4)「まんが甲子園」開催。以降、毎年審査員長を務める(73歳)1996年(平成8)「香北町(現・香美市)立やなせたかし記念館アンパンマンミュージアム」開館(77歳)★2002年(平成14)高知県特別県勢功労表彰土佐くろしお鉄道「ごめん・なはり線」の各駅のキャラクター制作(83歳)2005年(平成17)「やなせたかし記念公園」完成。「アンパンマン」が第27回日本文化デザイン賞受賞。第12回高新大賞受賞(86歳)☆2011年(平成23)高知県名誉県民顕彰(92歳)1924年(大正13)父が亡くなる。残された家族は親戚を頼って高知市へ(5歳)1937年(昭和12)東京高等工芸学校工芸図案科(現・千葉大学工学部)に入学(18歳)1941年(昭和16)応召して九州・小倉の部隊に入隊(22歳)2年後に中国大陸へと出兵(24歳)1947年(昭和22)上京し、三越百貨店宣伝部に入社(28歳)2年後に高知新聞社の同僚であった暢と結婚(30歳)1961年(昭和36)「手のひらを太陽に」を作詞(いずみたく作曲)(42歳)1969年(昭和44)虫プロダクション(手塚治虫 設立)のアニメ作品で美術監督とキャラクターデザインを担当。同プロダクションより短編アニメ映画『やさしいライオン』を制作、監督・原作・脚本を担当(50歳)1973年(昭和48)雑誌「詩とメルヘン」創刊。編集長を務める(〜2003年)(54歳)フレーベル館の月刊絵本「キンダーおはなしえほん」にて『あんぱんまん』発表1988年(昭和63)テレビアニメ『それいけ! アンパンマン』放送開始。同作が文化庁こども向けテレビ用優秀映画製作奨励金交付作品に選定(69歳)1994年(平成6)高知県香美郡香北町(現・香美市)名誉町民(75歳)1998年(平成10)「香北町(現・香美市)立やなせたかし記念館詩とメルヘン絵本館」開館。日本童謡協会功労賞受賞(79歳)2004年(平成16)高知県南国市名誉市民(85歳)2009年(平成21)『それいけ! アンパンマン』が「登場キャラクターが最も多いアニメシリーズ」としてギネス世界記録に認定(1988〜2009年までにキャラクター数1,768体)(90歳)2013年(平成25)永眠(94歳)やなせたかし先生の生涯1919年(大正8)柳瀬清、登喜子夫妻の長男として香美市にて誕生(本名:柳瀬嵩)1926年(大正15)母が再婚。南国市の伯父の家に預けられる(7歳)1940年(昭和15)東京田辺製薬宣伝部に入社(21歳)

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