ライト&ライフ5・6月号
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ゆ くべいざ  3繊細な動きに魅せられ人形浄瑠璃のとりこに映像や英語を駆使して人形浄瑠璃の魅力を発信阿波人形浄瑠璃 徳と米座 江戸時代初期に大阪で発祥したとされる人形浄瑠璃は、太たう夫(語り手)と三味線弾き、人形遣いが繰り広げる舞台芸術。その伝統は各地で受け継がれているが、国の重要無形民俗文化財に指定されているのが、徳島県の「阿波人形浄瑠璃」。現在、県内で20座以上が活動している。 そのなかで異彩を放っているのが徳米座。座長はアメリカ出身のマーティン・ホルマンさんだ。「私は子どもの頃からマリオネットなどの人形劇が大好きでした。大学、大学院では日本の現代小説を中心に研究していました。在学中に授業の一環で近松門左衛門の『曽根崎心中』の映像を見て、繊細な動きや人形の美しさに魅了されました」と話す。 学生時代には2度にわたり来日。大学院生だった1983年(昭和台(※1)で歴史ある一座「勝浦座」の公演を観た。感動のあまり言葉を失い、「いつかは自分も人形を操りたい」との思いを募らせたという。大学院終了後は教職に就き、ミズーリ大学などで日本文学を教えた。 1989年(平成元)、ホルマンさんは、滋賀県とアメリカ・ミシガン州の姉妹提携20周年を記念して設立された「ミシガン州立大学連合日本センター」の所長としてあることを知り、稽古を見学。座長に頼み込んで弟子入りし、3年間にわたって人形浄瑠璃を学んだ。1994年(平成6)には外国人として初めての人形遣いとして、日本の舞台に立った。 帰国後は大学で教鞭を執りつつ、人形浄瑠璃を学ぶための講座を立ち上げ、現地の学生を率いて日本での人形浄瑠璃研修を実施。2004年(平成16)には講座の修了生とともに「文楽・ベイ・人形劇団」を結成し、34州で合計200回ほどの公演を行った。2017年(平成29)に大学を退職したホルマンさんは、2年後に徳島県へ移住した。大学院生時代に来訪した際、海もあり、山もある徳島の豊かさを肌で感じて、「いつかここに住もう」と考えていたのだ。「とりわけ、私を惹きつけたのは『徳島県立阿波十郎兵衛屋敷』です。他県でも人形浄瑠璃を上演している施設はありますが、毎日上演しているのは、世界でもここだけ。このまちで、人形浄瑠璃をライフワークにしようと決めました」。2019年(令和元)10月、徳島と米国から1文字ずつ取り、徳米座と名付けた一座を立ち上げた。座員が集まり、本格的な活動を始めた矢先、コロナ禍により、上演はおろか稽古もできなくなった。「何のために移住したのか」と落ち込んだが、すぐに前を向いたホルマンさん。「今やれることを」と、マスク着用をテーマにした人形たちのコミカルな映像作品や、徳島のPRにつながる英語の番組などを動画サイトに投稿した。いずれも反響は大きく、「かえって自分の世界を広げることができました」とほほ笑む。こうした取り組みが評価され、2021年(令和3)、徳島県観光ユニバーサル大賞活動部門で、徳米座は表彰を受けた。01・02_座長の人柄に惹かれて集まった座員たちには、子どもや未経験者も多数。また留学や仕事の都合で徳島に住んでいる海外出身者も集まってくる。「留学を修了して自国へと帰ってしまう人がいるのは寂しい。でも、その人たちが各国で人形浄瑠璃を広めてくれたらうれしいですね」とホルマンさん0102人滋賀形県浄彦瑠根璃「市冨とにん着だ田任人。形自」宅の一近座くがに58)には初めて徳島を訪れ、農村舞

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