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 近年、日本では野生の猪や鹿の生息数が急増している。その結果、農作物が荒らされたり、貴重な高山植物が食べ尽くされたりするなどの被害が深刻な問題となっている。四国の山間地域でも、この被害を防ぐために猟師たちが害獣を捕らえている。その一部は食用として個人消費していたものの、大部分は廃棄されていた。そこで、「せっかくの生命を無駄にせず、ジビエとして普及させよう」という動きが活発になっている。ジビエとは、フランス語で「野生鳥獣の食肉」の意味。日本ではボタン鍋(猪鍋)やモミジ鍋(鹿鍋)が、郷土料理として受け継がれている地域もある。しかし、ヨーロッパではジビエは「貴族の伝統料理」として発展した歴史があり、調理法もバラエティ豊かだ。
 猪肉はコラーゲン、鹿肉は鉄分が豊富。低脂肪で低カロリー、高タンパクであるため健康食材としても今、注目されているジビエ。高知県ではジビエの加工施設が次々と誕生し、新たな特産品として地元からも期待されている。

故郷の暮らしを守るために
ジビエの加工工房を設立

ジビエカラー

 現在、複数ある高知県のジビエ加工施設では、それぞれが独自の製法でジビエの品質向上と普及に取り組んでいる。大豊町の「猪鹿(いのしか)工房おおとよ(以下:猪鹿工房)」は、料理人とタッグを組むことで活路を見出した。また、今年4月に本格的に始動した梼原(ゆすはら)町の「ゆすはらジビエの里(以下:ジビエの里)」は、処理設備を搭載したジビエカーを全国で初めて導入し、話題となっている。
 「猪鹿工房」は、平成24年に北窪博章さんが設立した。きっかけは友人の猟師との会話。「農林業を守っていくためには、猪や鹿の駆除は必要不可欠。加工施設があれば、これらを生かすことができるのに」。そこで博章さんは、長年勤めていた郵便局を定年退職すると同時に、退職金で加工処理施設を建設。食肉加工の技術を身に付けるために、高知県広域食肉センター(高知市)へと通った。猟師から持ち込まれた猪や鹿を加工し、知り合いなどに販売していたところ、博章さんは、肉の味の仕上がりにバラツキがあることに気付く。おいしい肉は、捕獲から処理までが短時間で行えたもの。加えて、処理後の適切な温度管理を行うことで、旨味が増すことも分かった。「よりおいしく食べられるジビエにしようと親子で研究しました」と話すのは、博章さんの息子の康志さん。試行錯誤を繰り返しながら平成25年には、ホームページを通じて、こだわりのジビエ肉の通信販売をスタート。同時に県内のスーパーマーケットにも商品を置いてもらった。

猪や鹿の通り道を見極めて、罠を仕掛ける北窪康志さん。罠は毎日見回りしている

猪や鹿の通り道を見極めて、罠を仕掛ける北窪康志さん。罠は毎日見回りしている

野生害獣の被害の様子

野生害獣の被害の様子
上/鹿の食害を受けたモミの木
下/鹿の食害で笹が立ち枯れした
  高知県最高峰の三嶺
(提供:高知県鳥獣対策課)

「ブーダン・ノワール」が
拓いたジビエの未知なる可能性

ジビエカラー

 「猪鹿工房」のジビエは臭みもなくおいしい…という評判が少しずつ広がり、やがて東京の有名なレストランからもオーダーを受けるまでになった。そんな中、大きな転機となったのは、当時、六本木でフレンチレストランを営んでいた松原浩二さんとの出会いだ。平成27年、良い食材を探していた松原さんは、大豊町を訪ねた。そこで博章さんと意気投合。以後、料理人の立場からアドバイスをもらうようになった。また、松原さんが教えてくれた料理「ブーダン・ノワール」は博章さんに衝撃を与える。これは豚の血と脂肪、香辛料などを腸詰めにしたソーセージのこと。松原さんはこれを鹿で応用し、店で出すというのだ。博章さんは「そんな料理があるのか!」と驚くと同時に、次の目標が見えてきた。香辛料を使うソーセージやサラミは、ジビエを食べ慣れていない人も口にしやすいのでは…と、「猪鹿工房」でジビエの加工品製造にも取り組み始めた。
 平成30年春、引退した父の跡を受け継いで「猪鹿工房」の代表となった康志さんは、猟師として猪や鹿の捕獲から加工品の製造まで手掛けている。多忙を極める日々だが、「ジビエが特別なものではなく、馴染みのある食材となるよう力を入れていきたい」と意欲満々。また生命を丸ごと生かそうと、骨をペットフードとして加工し、皮革の活用法も模索中。それぞれの販路の拡大にも積極的に取り組んでおり、ゆくゆくは地元に雇用を生み出したいと考えている。
 毎年11月、本格的な猟期を前に、「猪鹿工房」には猟師たちが集い、神官を招いて慰霊祭を行う。「私たちが忘れてならないのは、動物たちへの感謝の気持ちです」と参加した猟師のひとり。それは、関係者全員の思いでもある。

カットしたジビエ肉は、真空パックした後に冷凍して保存している

使いやすいように、ミンチやスライスなど用途に合わせた下ごしらえを行い、真空パックにする

「加工品には素材の良さを引き出すため、添加物は使用せずに作っています」とほほ笑む康志さん

慰霊祭でふるまわれた鹿の「ブーダン・ノワール」など3種類のソーセージ

毎年11月、本格的な猟期のスタートの前に、猟師らが参加し、屠(ほふ)った動物たちのための慰霊祭を行う

ジビエでおもてなし
移住者が経営する宿

 「猪鹿工房」で加工されたジビエは、大豊町を訪れた観光客のおもてなしにも一役買っている。「お山の宿 みちつじ」は、安達大介さん・佑実子さん夫妻が、平成25年8月に開いた宿泊施設。Iターンでこの地にやって来た安達さんは、当初から地元の食材でおもてなしをしたいと考えていた。そこで取り入れたのが、「猪鹿工房」のジビエだ。猪肉の煮込みや鹿肉のすき焼きなどを宿泊客に出したところ、これが大好評。なかでもやわらかくローストした鹿肉は、今では看板メニューとなっている。佑実子さんがタレに工夫をしたおろし醤油やニンニクのピクルスがアクセントとなり、クセになるおいしさだ。「猟はこの地域の文化の一つ。それをおもてなしに使うことで、文化の継承に役立てばうれしい」と大介さんはほほ笑む。

「またジビエが食べたいというリピーターも多いですよ」と話す安達さん夫妻

大豊町で収穫された野菜とともに提供している鹿肉のローストは、質の良い牛肉のようなさっぱりとした味わい

飲食店やイベントで
ジビエ料理との出会いを

ジビエカラー

 鹿の「ブーダン・ノワール」を博章さんに教えてくれた松原さんは、その後、高知市へと移住。平成28年5月に市内で肉料理を専門とするレストラン「Bar à Boucherie(バール ア ブーシュリー)松原ミート(以下:松原ミート)」を開業した。東京時代には、ジビエを含めた肉料理はあくまでメニューの一つとして捉えていた松原さん。「高知市には魚を扱う飲食店は数えきれないほどあります。店としての特徴を出すため、あえて肉料理専門のお店にしました」。「松原ミート」では、ローストやテリーヌ、煮込みなど洗練されたジビエ料理を日替わりで提供している。もちろん鹿の「ブーダン・ノワール」も人気となっている。
 高知県では毎年1月中旬から約2カ月間、「よさこいジビエフェア(主催:高知県)」と題したイベントも開催されており、県下約40軒の飲食店が工夫を凝らしたジビエ料理を提供。この場所で初めてジビエを口にして、ファンになる人もいるという。平成31年も開催予定なので、さまざまなジビエ料理をぜひ食べ比べしてほしい。

鹿の「ブーダン・ノワール」は、合わせるスパイスなどを変えて、毎回異なる味わいに仕上げているそう

「ジビエは枝肉で仕入れており、骨から出汁を取るなど全部を使い切るようにしています」と松原さん

梼原町内を颯爽と走る
日本初のジビエカー!

ジビエカラー

 梼原町の「ジビエの里」は、平成30年4月に本格的に稼働を始めた施設。ここで働く平脇慶一さんは、兵庫県西宮市出身。3年前にこの町にやって来た。「梼原町は猪と鹿を合わせて、年間1,000頭以上が捕獲されています。これを有効利用しようと、ジビエの里が設立されました」と平脇さん。施設の開設にあたっては、加工処理ができる人材の確保に頭を悩ませていた。施設の運営を任された平脇さんの頭に浮かんだのが、町内に住む中越さと子さんだ。中越さんは若かりし日に20年以上もパラグアイに住んでいた。現地では一般家庭で、主婦が鳥獣を捌くことが珍しくなかったという。梼原町に帰ってきてからも、猟師に頼まれて肉の処理を行うことがあったことから白羽の矢が立った。「自分の技術が役に立ちうれしい」と話す中越さん。
 「ジビエの里」は、全国で初めてジビエカーを導入したことでも話題となった。100人近くいる町内の猟師は高齢者が多いため、捕獲した猪や鹿などの運搬が負担となる。そこで、山までジビエカーが出動することで、その負担を軽減している。車内で素早く下処理できることもメリットとなっている。
 「ジビエの里」は、施設の開設から約4カ月の時点で、150頭以上を加工した。これらの多くは生肉として、一部は燻製に加工して、町内のスーパーマーケットや道の駅で販売している。「自分たちが捕獲した猪や鹿が、商品化されたことに喜びを感じている」という猟師たちの声も聞こえてくる。今後も県や町が定めた捕獲計画数を遵守しながら猟を行っていくという。

「猪肉のギョウザや鹿肉のハンバーグなど、料理のバリエーションはたくさんあります」と話す中越さん

ジビエカーを運転する平脇さん。かわいいイラストが描かれたジビエカーは、ジビエの宣伝にも一役買っている

使い切りサイズにパッキングした商品

清掃活動後の慰労バーベキュー用として注文が入る。
配達時にはおいしく食べるコツなども伝えている

気軽に楽しめるジビエを
まずは梼原町内から広めたい

ジビエカラー

 梼原町のある地区では、長年、町内一斉清掃の後に参加者がバーベキューを楽しむのが慣例となっている。今年は「その肉をジビエで」という注文が入った。「町内を走るジビエカーを見て、試しに食べてみようと思いました」と主催者。ジビエカーは宣伝カーとしての役割も果たしているようだ。
 平脇さんの夢は、梼原産のジビエを一般家庭はもちろん、学校給食や宿泊施設の食事など、まずは町内に普及させること。「地元の人にジビエの魅力を知ってほしいと思っていたので、こういう注文はうれしいですね」と笑顔を浮かべる。
 家庭でもジビエを気軽に調理してもらえるように、中越さんの協力のもと、「ゆすはらジビエレシピ集」も作成した。冷凍のジビエの解凍方法、臭み消しの方法なども掲載。ハンバーグやカレー、コロッケなど、子どもに好まれる料理の調理法を紹介している。「ジビエっておいしいね」。梼原町の子どもたちから、そんな声が聞こえる日も近そうだ。

ジビエ料理初体験の子どもたち。「どの料理もおいしい!」と笑顔で平らげた

お問い合わせ

● 猪鹿工房おおとよ

住所

高知県長岡郡大豊町大久保107

電話番号 090-4784-0014
URL http://iskb-otoyo.jp

● お山の宿 みちつじ

住所

高知県長岡郡大豊町永渕454

電話番号 0887-75-0390
備考 チェックイン/16:00  チェックアウト/10:00 1泊2食付き/8,500円~
URL https://oyamanoyado-michituji.tumblr.com

● ゆすはらジビエの里

住所

高知県高岡郡梼原町広野171

電話番号 0889-65-0850
URL https://peraichi.com/landing_pages/view/yusuharagibier

● Bar à Boucherie 松原ミート

住所

高知県高知市追手筋1-3-9

電話番号 090-2827-0185
営業時間 18:00~22:30
休み 日曜日~火曜日