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平成27年から文化庁が始めた「日本遺産」の取り組みが近年話題となっている。四国では「四国遍路」や「“日本最大の海賊”の本拠地:芸予諸島」に次いで、平成29年4月、高知県の「中芸(ちゅうげい)地域の景観と食文化」が認定を受けた。これを申請したのは、高知県東部の奈半利町、田野町、安田町、北川村、馬路村。この5町村は「中芸」と総称されており、魚梁瀬(やなせ)森林鉄道・通称「りんてつ」と「ゆず」の2つをシンボルにつながってきた歴史を有している。

認定から3年目を迎え、中芸地域にはどのような変化が生まれたのか。認定までの経緯とその後を追いかけた。

(撮影:寺田 正)
中芸地域

日本遺産とは


「日本遺産」は、日本各地の歴史的魅力や特色を通じて日本の文化・伝統を語るストーリーを文化庁が認定する取り組み。魅力あふれる有形・無形のさまざまな文化財群を地域が主体となって整備・活用し、国内はもちろん海外へも発信していくことで、地域の活性化を図ることを目的としている。


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古くから中芸地域を支えてきた産業の一つは林業で、かつて西日本で最も盛んであった地域。中でも馬路村は魚梁瀬(やなせ)杉の産地として知られており、その質の良さは、豊臣秀吉が京都に大仏殿を建造する際、献上された魚梁瀬杉を「日本一の良材」と評価したという逸話も残っているほどだ。明治44年からは、山で切り出された魚梁瀬杉を海岸部まで運ぶための鉄道網「りんてつ」の整備が進められた。本線・支線を合わせて総延長約320㎞にまで延び、まさしく5町村をつなぐ存在となったが、森林資源の減少や道路網の整備により、昭和38年に廃線となる。一帯には、役目を終えたトンネルや橋などが残されるのみとなった。

そこで林業に代わる新たな産業として、人々が着目したのはゆず栽培。古くからこの地はゆずが自生しており、江戸時代には、現在の北川村で庄屋見習いをしていた中岡慎太郎が、村民の自宅にゆずの木を植えることを奨励したという。当時、なかなか手に入れることができなかった塩の代わりに、ゆず酢を調味料や防腐剤として使おうと考えたからだ。当初は自家用栽培が主だったが、林業が衰退したころから産業としての栽培が本格化。「りんてつ」のレールがあった場所などに、石垣を積み上げて段々畑を整備した。こうした苦労が実り、ゆずの生産量日本一を誇る高知県の中でも、中芸地域は最も生産が盛んな地域となった。

初夏に白い花を咲かせるゆずは、秋が深まる頃に収穫の最盛期を迎える。一帯では、ゆず酢を効かせた田舎ずしやドリンク、スイーツなどのご当地グルメが人気を博し、今や全国的に知られる商品も多数ある。かつて「りんてつ」が走っていた中芸地域は、いつしか「ゆずロード」と呼ばれるようになっていた。

明治44年、「りんてつ」の開通時に建造された石造りの「五味隧道」。軌道跡も残されている(馬路村)
「りんてつ」の遺構の1つ、奈半利川支流の小川川に架かる「二股橋」。昭和15年に建造され、国の重要文化財と近代化産業遺産群に指定されている(北川村)
ゆずの収穫体験にチャレンジするいの町からの観光客。「とてもいい香りがします」とにっこり
ゆず農家・尾﨑一マ(かずま)さん(北川村)
馬路温泉・林義人支配人(馬路村)
うまじのパン屋・前田さん夫妻(馬路村)
【ゆずはじまる祭】毎年秋に開催されるゆずの収穫祭。ゆずの初搾りが行われ、実りの喜びを大勢の人たちが祝う名物イベント
【森家住宅】土佐の交通王と呼ばれた野村茂久馬(もくま)が暮らしていた邸宅。浜石を積み上げた石塀で囲われている
【柚子の古木】古くから中芸にゆずがあったことを証明するのは、北川村にある樹齢300年のゆずの古木
【千本山】
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最初に日本遺産認定を提案したのは、「りんてつ」を愛する地元グループ「中芸地区森林鉄道遺産を保存・活用する会(以下:保存する会)」。清岡博基(きよおかひろもと)さんが代表を務める「保存する会」は、「りんてつ」の遺構を国指定重要文化財にすることを目的に活動を始め、平成21年にそれを成し遂げたが、広く県内外にアピールするための方策に行き詰まりを感じていた。「魚梁瀬杉により廻船業が盛んとなり、海沿いの田野町や奈半利町には豪商らが築いた邸宅が残されている。これらも含めて効果的にアピールするための体制を整えたい」と考えた清岡さんたちは、文化庁が募集を開始した日本遺産事業に目を付ける。これに認定されれば、魚梁瀬杉が5町村にもたらした恩恵の数々を多くの人に伝えていけるのではないかと、関係者に働きかけた。その熱意は、5町村と高知県を動かした。

昭和28年頃の立岡二号桟道で撮られた写真。先頭に乗っている2名の乗務員は、滑り止めのための砂まきを行っていた(撮影:寺田 正)
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申請の準備を中心となって担当した一人が、当時、安田町教育委員会の職員だった中村茂生(しげお)さん。日本遺産は単体の物件が認定されるものではなく、地域の歴史や文化をまとめた「ストーリー」が認定される。そこで中村さんたちが練り上げたのは、「森林鉄道から日本一のゆずロードへ」という、この地域の産業史に即した「ストーリー」。「りんてつとゆずは、中芸地域の産業史を語る上で欠かせない二本柱であり、祭りや食文化、建造物などさまざまな副産物を生み出しています。それら全てを地元の宝として捉えようという方針を固めました」と中村さん。

平成28年、中芸5町村は「※魚梁瀬森林鉄道日本遺産推進協議会(以下:協議会)」を設立。5町村それぞれで地域資源を生かした活動をしている10以上の住民グループも参加し、話し合いが重ねられた。

認定に尽力した住民グループの一つ「なはり浦の会」の森美恵さんは、それまで奈半利町内にある古民家を活用した町おこしを行っていた。「協議会を通じてお互いの活動をよく知ることができました。同時に、これだけの宝がある5町村が、連携して盛り上がることが大切だという視点を持つことができました」と話す。「住民グループはそれぞれが各分野の専門家。より詳しい情報が集まり、気運の盛り上がりにもつながりました」と中村さんは振り返る。

「日本遺産」の認定証

平成29年3月、5町村が申請した「森林鉄道から日本一のゆずロードへ-ゆずが香り彩る南国土佐・中芸地域の景観と食文化-」は、日本遺産に認定された。このうれしい知らせに、清岡さんら「保存する会」には次の目標も生まれた。それは安田川に架かる明神口橋に線路を敷設し、森林鉄道をよみがえらせるという壮大なプランだ。「復活した森林鉄道が、ゆずの花や実に彩られた山里を走れば、『日本遺産』の象徴となるに違いありません」と清岡さんは瞳を輝かせている。
※現在は「中芸のゆずと森林鉄道日本遺産協議会」

奈半利町「なはり浦の会」主催のイベント「古民家Art」。古民家に現代美術作家の作品を展示し、ライブやワークショップも同時開催している
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祭りやアクティビティー(体験型観光)は人を呼び寄せる有効な手段。春は古民家にお雛様が飾られる「土佐の町家ひなまつり」、夏はマリンスポーツや川遊び、秋はゆずの収穫祭、冬は岡御殿ライトアップイベントなど、中芸地域には四季を通じてさまざまな祭りやアクティビティーが根付いていた。

こうしたものに加えて、住民グループが主体となって行う「ゆずFes(フェス)」を新たに立ち上げた。これにも「協議会」の狙いがある。「日本遺産に認定された文化財は、中芸地域全体に点在しています。従来の祭りなどの他に、各地で特徴を生かしたイベントを開催すれば、より多くの人々に日本遺産をアピールできると考えたのです」と中村さん。

夏休みに開催された「第4回ゆずFes」では、安田町の川エビ漁体験、ゆずを使ったお菓子作り体験などを実施。親子連れが参加し、大いに盛り上がった。漁体験の指導にあたった安田町の川漁師は、川エビやゴリが捕れ、子どもたちが大喜びする様子に顔をほころばせた。お菓子作り体験の先生は、奈半利町に菓子店を開いた菓子職人。ゆずゼリー作りを子どもたちに教えて、ゆずのおいしさを伝えた。各分野のプロたちが先生となった「ゆずFes」や収穫体験は、地域外の人たちが中芸地域の魅力を体験する好機にもなっている。

日本遺産認定により、さらに強く結ばれた中芸5町村は、今、故郷の「宝」を活用してこの地にさらに多くの人を呼び込もうとしている。

材木業で栄えた田野町の豪商の邸宅「岡御殿」で行われるライトアップイベント「岡灯り」の様子。令和元年は12月21日に開催予定
夏休みに開催されたゆずFesのイベントの一つである川エビ漁体験で、
仕掛けを覗き込む子どもたち
安田川のモクズガニを興味津々で見る子どもたち。川に棲む生き物についての知識を深めた
保存する会・清岡博基さん(馬路村)
中村茂生さん(高知市)
協議会スタッフ・吉田宗明さん(北川村)
なはり浦の会・森美恵さん(奈半利町)
川漁師・吉川照彦さん(安田町)
気ままsweets甘音・
中島沙織さん(奈半利町)

お問い合わせ

中芸のゆずと森林鉄道日本遺産協議会
住所 高知県安芸郡安田町大字東島2017(中芸広域体育館内)
電話番号 0887-30-1865