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作家集団「とべりて」が描く砥部焼(とべやき)の未来 作家集団「とべりて」が描く砥部焼(とべやき)の未来

愛媛県砥部町を中心につくられている砥部焼は、約240年の歴史を誇る国の伝統的工芸品。ふっくらと厚みのある白磁に、唐草やなずな、太陽などをモチーフにした呉須絵(ごすえ)(※1)で広く知られている。砥部焼は、時代のうねりの中で多くの人が苦労しながら今に受け継いできた。現在、砥部町とその周辺地域には約100軒の窯元が点在しており、それぞれが独自の作風で人気を集めている。そこには「産地としての砥部町や現代の砥部焼を広くPRしたい」という思いで結成された7人の女性作家グループ「とべりて」もいる。そこで砥部焼の歴史を振り返り、「とべりて」の取り組みにスポットを当てた。

(※1)呉須…青藍色の顔料

陶器から磁器へ歴史ある焼物

飛鳥時代(592〜710年)には、既に焼物が作られていたという砥部町。ただし当時焼かれていたのは、「土もの」と呼ばれる陶器で、磁器への転換が図られたのは江戸時代中期、伊予国大洲の大洲藩が財政を支えるため新たな産業に取り組んだのがきっかけ。砥部町は伊予砥(いよと)と呼ばれる砥石の産地であり、その屑(くず)を使って磁器づくりをしようと考えたのだ。1777年(安永6)に、白磁器の焼成に成功して以後、改良が重ねられ、大正時代には「伊予ボール」の名で海外に輸出されるまでになった。

戦後は民藝(みんげい)運動を提唱した柳宗悦(やなぎむねよし)らが現在の砥部焼を見出し、「用の美(風土に根ざした工芸品に宿る美しさ)」を体現する焼物としてその名を知られるようになった。1976年(昭和51)には、国の伝統的工芸品に指定され、愛媛を代表する焼物としての地位を確かなものにした。

平成に入り、安価な輸入品の台頭などにより、国内の焼物産地は苦境に立たされた。砥部焼も例外ではなく、窯元らは新たな方向性を模索し始める。手づくりの良さを残しながら、新しいデザインに挑戦したのもその一つ。また、一般的な砥部焼の和食器にこだわらず、生活スタイルに合わせた洋食器なども手がけるようになった。さらには、工房にギャラリーショップを併設し、直販に力を入れる窯元も出てきた。

そうした流れを受けて、若手作家や女性作家も増え、それぞれが個性を競い合いながら砥部焼の火を灯し続けようと奮闘。「きよし窯」の山田ひろみさんもその1人だ。

可愛くて華やかな新しい砥部焼を

山田さんが「きよし窯」の二代目公夫さんと結婚したのは1981年(昭和56)。結婚前にグラフィックデザイナーとして働いていた山田さんは「もっと可愛い、華やかな砥部焼があるといいのに」と感じていた。だが、焼物に関しては素人だった山田さんは、その思いを口に出せないまま窯の仕事を習い覚える日々を過ごした。

結婚から3年目、山田さんはふとした思い付きから砥部焼の雛人形をつくる。「私は子ども時代にお雛さまを持っていなかったの。そんな憧れを形にしたくて」と話す。ほんの数個つくった雛人形は完売。翌年以降は製造数を増やしたところ、飛ぶように売れ、やがて雛人形は定番となり、代表作となった。

これに自信を得た山田さんは、念願のカラフルな砥部焼に挑戦。独自の色付けや、有田焼の技法などを用いて、黄色やピンク、グリーンなど可愛くて華やかな砥部焼を生み出した。「私はよそからきた人間だから、新しいことにもこだわりなく挑戦できたのでしょうね」と振り返る。新たな砥部焼の世界をつくろうとする山田さんに惹かれるように、いつしか周りには女性作家たちが集まってきた。

山々に抱かれた砥部町はのどかな雰囲気。町内とその周辺地域には約100軒の窯元が点在している
松山市中心部から約10kmという近さながら、山々に抱かれた砥部町はのどかな雰囲気。町内とその周辺地域には約100軒の窯元が点在している
砥部町の松山市側からの入り口にある高さ15mの陶街道夢タワー「愛伊砥(えいと)くん」
砥部町の松山市側からの入り口にある高さ15mの陶街道夢タワー「愛伊砥(えいと)くん」。町内には他にも砥部焼のオブジェが点在している
「陶房くるみ」の窯出しの様子
「陶房くるみ」の窯出しの様子。砥部焼はろくろや手びねり、たたら作り(※2)などで成型し、素焼きの後、絵付けを行う。その後、窯で焼く際の予期せぬ色の変化(窯変)により、独特の色合いに仕上がる
(※2)たたら作り…板状の粘土を使って作品を作ること
「atelier LUXE」でろくろを回す。手作業を重んじる点が砥部焼の高い評価につながっている
「atelier LUXE」でろくろを回す。手作業を重んじる点が砥部焼の高い評価につながっている
女子会をきっかけに誕生した「とべりて」

窯元の多くは男性。彼らは会合などで顔を合わせる機会も多かったが、その妻たちが表に出る機会はほとんどなかった。「最初は女子会。みんなで仕事やプライベートの悩みを話して、『また頑張ろうね』って言い合う、そんな集まりだったんです」と山田さん。女子会メンバーの中には、「陶芸家として一本立ちしたい」という人を育成するために、砥部町と砥部焼協同組合が主催した「砥部焼陶芸塾」の卒塾生である郷田裕佳子(ごうだゆかこ)さん、松田知美さんもいた。異業種から転身した2人にとって、先輩から聞く技術面のアドバイスはとても心強いものであったという。

そんな中、メンバーから「今の砥部焼の魅力は、ちゃんと伝わっているのだろうか」という意見が出た。各窯元の取り組みは成果が出ていたが、産地としての砥部町、焼物としての砥部焼の魅力を発信するためには、個々の窯元では限界がある。「私たちが砥部焼全体の活性化に役立つ、応援団になろう」。そんな山田さんの呼びかけに賛同し、2013年(平成25)2月、「とべやきのつくりて」の意味から「とべりて」が結成された。

工房で絵付けを行う山田さん
工房で絵付けを行う山田さん。グラフィックデザイナーとしての経験を生かして、さまざまなモチーフに挑戦している
 山田さんが手がける美しい色合いの砥部焼は、女性を中心に新たなファンを生み出した
山田さんが手がける美しい色合いの砥部焼は、女性を中心に新たなファンを生み出した
山田さんの原点ともいえる砥部焼の雛人形
山田さんの原点ともいえる砥部焼の雛人形。愛らしい姿が多くの人に愛されている
「伊予灘ものがたり」の車内で使われている「とべりて」の器
「伊予灘ものがたり」の車内で使われている「とべりて」の器。車内の愛媛らしいおもてなしに一役買っている(献立は時期により変更)
「伊予灘ものがたり」がさらなる飛躍をもたらす

 女性だけの作家グループというのは、それまでの砥部焼の歴史でも初めて。また砥部焼全体で見ても、グループ展などの取り組みはあったが、「砥部焼応援団」のような位置付けで活動する団体は例がなかった。一方で、「とべりて」自身も何から手をつけていいのか分からない状況であった。そんな中、「地元に根ざしたイベントを開催したい」と考えていた銀行から、「行内のスペースを使い、展示即売会をしないか」というオファーが舞い込む。これがマスコミに取り上げられ、「とべりて」の存在が知られるようになった。

 その後、JR四国が運行を開始する観光列車「伊予灘ものがたり」で使用される全ての食器の製作依頼が舞い込む。「とべりて」を応援してくれていた同列車のアドバイザーが、紹介してくれたのだ。かねてよりJR四国は、列車のおもてなしに愛媛県らしいものを使いたいという意向があり、食器は砥部焼で…と考えていた。列車の主なターゲットを女性としていることから、女性作家グループ「とべりて」は適任。「揺れる列車で使われる食器で、料理が滑らないように」と、メンバーは何度も試作を重ねた。

 2014年(平成26)7月に運行を開始した「伊予灘ものがたり」は、今年2月、利用者数が13万人を突破するほどの人気で、多くの人が砥部焼に触れる機会となった。「列車で使って良かったから」と、砥部町を訪ねてくる人も増えた。

 その後も年1回のペースで、ホテルや飲食店、小売店とコラボしたイベントなどを開催。また、2019年(令和元)には、砥部町内のホテル「ていれぎ館」のリノベーションをプロデュース。ここには「とべりて」メンバーのそれぞれの作品で彩られた「とべりてルーム」が7室あり、食器だけではなく陶板のオブジェ、洗面ボウルまで砥部焼の世界に浸ることができる。「砥部焼は器だけではない、色々なものが作れるのだ」ということをアピールできた。

 また昨年秋にはメンバーの1人である佐賀しげみさんが、「カフェ&ギャラリーもえぎの」をオープン。使用する食器やペンダントライトなどの製作をメンバーに依頼。「とべりての作品に囲まれて、ゆったりとくつろげる空間です」と微笑む佐賀さんだ。

大西三千枝さんの作品で彩られた「ていれぎ館」307号室
大西三千枝さんの作品で彩られた「ていれぎ館」307号室。柔らかな色調で豊かに色を重ねる自然の風景をモチーフにしている
「ていれぎ館」308号室は白石久美さんがコーディネート
「ていれぎ館」308号室は白石久美さんがコーディネート。黒を基調にしたモダンな空間となっている
「カフェ&ギャラリーもえぎの」のギャラリーショップ
「カフェ&ギャラリーもえぎの」のギャラリーショップ。「とべりて」を中心に多様な作家の作品を販売している
カフェスペースでは「とべりて」が手がけたペンダントライトが柔らかな明かりを放っている
カフェスペースでは「とべりて」が手がけたペンダントライトが柔らかな明かりを放っている
14時以降は50種の砥部焼からカップを選んで、コーヒーや紅茶を楽しむことができる
14時以降は50種の砥部焼からカップを選んで、コーヒーや紅茶を楽しむことができる(伊予郡砥部町川登495、089-916-3157、火・水曜定休日(祝日の場合は翌日)、パーキングあり
映画公開を弾みに陶里に新たな風を

  2019年(令和元)、砥部町出身の映画監督・大森研一さんがメガホンを取った『未来へのかたち』がオール砥部ロケで制作された。これは砥部焼を生業とする窯元一家の再生を描いたハートフルな物語。重要なモチーフになっているのが、砥部焼の聖火台だ。実はこの映画制作にも「とべりて」は、俳優陣への作陶指導、ロケ場所の提供、小道具づくり、炊き出しなど有形無形のサポートを行った。

  ようやく映画が完成し、大きなPRとなる…と喜んだ矢先、コロナ禍を受けて、映画公開が無期限の延期となった。自分たちではどうしようもない決定に、肩を落とすメンバーたち。「最初は落ち込んだけれど、みんな前向きな人ばかりだから、目の前の仕事に集中しようとなりました」と山田さん。

  今年5月、ようやく映画は公開され、「とべりて」も関連イベントのサポートに汗を流した。今は「ロケ地巡りなどで砥部町を訪れる人を喜ばせるおもてなしを」と、視線はすでにその先を見据えている。

  陶里にしなやかな風を吹かせた「とべりて」。彼女らが描こうとする未来に、これからも注目したい。

映画に登場した砥部焼の聖火台
映画に登場した砥部焼の聖火台。砥部焼伝統産業会館横にあり自由に見学可能
Toberite とべりて
愛媛県のキャラクターのピンバッジは、「とべりて」のオリジナル商品
愛媛県のキャラクターのピンバッジは、「とべりて」のオリジナル商品
山田ひろみ(きよし窯)
山田ひろみ(きよし窯)
伝統工芸士、愛媛県無形文化財(砥部焼)保持者。道後温泉別館 飛鳥乃湯泉(あすかのゆ)、愛媛県立とべ動物園の陶板壁画なども手がけている。
白石久美(大西陶芸)
白石久美(大西陶芸)
日本工芸会正会員、1級陶磁器製造技能士(絵付け)。イッチン(※3)、染付け、彫刻、象嵌(ぞうがん※4)など多様な絵付け技術を発揮した作品で人気。
大西三千枝(大西陶芸)
大西三千枝(大西陶芸)
結婚を機に、義父が立ち上げた大西陶芸で働き始める。デザインと絵付けを専門とし、幼い子が安心して楽しく使える「子ども食器作家」として活躍。
松田知美(すこし屋松田窯)
松田知美(すこし屋松田窯)
教職を経て砥部焼陶芸塾に入塾。個人活動を経て、結婚を機に夫の窯にて作家として活動。主にデザインと絵付けを担当しており、愛らしい作風が好評。
郷田裕佳子(atelier LUXE)
郷田裕佳子(atelier LUXE)
砥部焼陶芸塾2期生。卒塾後、2003年(平成15)4月に開窯。エンボス(※5)加工やレースなどをモチーフとした、ファッションを楽しむかのような作風で人気。
中川久留美(陶房くるみ)
中川久留美(陶房くるみ)
1級陶磁器製造技能士(絵付け)。砥部焼の窯元で16年間勤務後、砥部焼陶芸塾を経て独立。砥部焼マイスターの認定を受け、後進の指導にも当たっている。
佐賀しげみ(梅乃瀬窯)
佐賀しげみ(梅乃瀬窯)
1級陶磁器製造技能士(絵付け)。グラフィックデザイナーを経て陶芸の世界へ。息子さんと共に窯を営んでいる。また「もえぎの」の店主として、砥部焼でのおもてなしを行っている。
(※3)イッチン…筒で粘土などを絞り出す技法 (※4)象嵌…模様を刻み、そこに金や銀などを流す技法
(※5)エンボス…凸凹で模様を表現する技法
砥部町内の地図