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清流・小田川のほとりで発展した手漉き和紙の故郷 清流・小田川のほとりで発展した手漉き和紙の故郷
金属箔を粘着させブラシをかけると、鮮やかに模様が浮かび上がるギルディング和紙。使用されている金属箔は、ヨーロッパから取り寄せている

高知県いの町の土佐和紙、徳島県吉野川市の阿波和紙、そして愛媛県内子町の大洲和紙など、四国には今も手漉き和紙が根付いている地域がある。いずれの産地も川のほとりにあるのは、製造過程で大量の水を使うためだ。

大洲和紙は、清流・小田川の恩恵を受けながら、内子町五十崎(いかざき)地区で発展した。発祥は明らかではないが、元禄時代(1688〜1704年)に、大洲藩が越前和紙(福井県越前市)の技術者を招いたという記録が残っている。その指導を受けて技法を確立し、藩の産業として発展したといわれている。

近年、伝統の技法を礎に、新たに生まれた和紙製品が注目されている。そこで、のどかな佇まいの大洲和紙の故郷を訪ねた。

大凧に使われている地元産の大洲和紙

内子町小田地区を源流とする小田川は、一級河川・肱川(ひじかわ)の支流の一つ。豊富な水量を生かし、大正時代までは川船が行き交う「川の道」であった。下り荷には、五十崎地区で作られた大洲和紙も積まれていたという。

清流のほとりに、和風の堂々とした建物がある。「五十崎凧博物館」だ。この地区では、毎年5月5日に行われる「いかざき大凧合戦」が有名。凧の糸を切りあう大凧合戦の他に、子どもの健やかな成長を願って行われる初節句行事や、100畳大凧あげなどが行われるなど、400年の歴史をもつ伝統行事として受け継がれている。大凧は風の抵抗を強く受けるが、丈夫な大洲和紙で作られているため、これに耐え得る。博物館には合戦で使用された凧も展示されており、その迫力に圧倒される。

大凧合戦の凧に使われている和紙を製造しているのは、小田川をはさんで対岸に位置する「天神産紙(てんじんさんし)工場」。大正初期に創業し、書道用紙や障子紙、表装用紙などを「流し漉き」の技法で製造している。流し漉きは、楮(こうぞ)や三椏(みつまた)、雁皮(がんぴ)などの紙料を「ねり」と呼ばれる粘剤とともに漉き舟に入れ、簀桁(すけた)ですくい取りながら漉く手法。

紙漉きの工程で、職人は簀桁を前後左右に動かす。これにより繊維を緊密に絡み合わせ、厚みの調整を行う。明治時代、五十崎地区には農家の副業も含めて400軒以上の手漉きの従事者がいたが、昭和に入って激減。現在、工房は五十崎地区に2軒、かつて大洲藩の領内であった西予市に1軒を残すのみとなった。「機械漉きの普及、ライフスタイルや住宅事情が洋式に変化したことにより、手漉き和紙の出番が少なくなったのです。また近年は職人の高齢化が進んでおり、技術をどう継承していくかも課題です」と話すのは、独自の和紙製品を製造している株式会社五十崎社中の代表を務める齋藤宏之さん。彼は異業種から運命に導かれるように、大洲和紙の世界へと入った。

小田川の様子
豊かな水量を誇る小田川。鮎の渓流釣りや投げ網漁も行われる清らかな川だ
五十崎凧博物館の外観
大凧合戦が行われる豊秋(とよあき)河原そばにある五十崎凧博物館。白壁にいぶし銀の瓦が映える建物
さまざまな凧が展示されている
大凧だけではなく、国内外の凧約3,000点を収蔵。凧の貸し出しや凧作り体験も受け付けている
手漉きを行う様子
リズミカルに簀桁を動かす手漉きの作業。厚みにムラがなく、縮れがない紙を漉き上げるために職人は真剣そのもの
西洋と日本の技法を融合して新しいものを

神奈川県生まれの齋藤さんの前職は、通信系企業のシステムエンジニア。妻が内子町出身であったことから、この地との縁ができた。ある日、内子町商工会のメンバーで、伝統産業の保護に力を入れていた義父から、「大洲和紙の再生を手伝ってくれないか」と持ちかけられた。2006年(平成18)、大洲和紙が「JAPANブランド育成支援事業」に採択され、商工会が実働部隊を探していたところ、齋藤さんに白羽の矢が立ったというわけだ。それまで漠然と「いつかは起業したい」と考えていた齋藤さんだが、和紙の世界は門外漢。しかし、「素人だからこそ自由な発想ができるかもしれない」と、持ち前のチャレンジ精神で転進を決意。助成金を活用して、パリのインテリア・デザイン見本市へと足を運ぶ。そこで出会ったのが、パリ在住のギルディングデザイナーであるガボー・ウルヴィツキさん。ガボーさんの「ギルディング壁紙」を見た瞬間、「これだ!」とひらめく。箔置(はくお)き(※)とも呼ばれるギルディングは絵画の額縁などに使われている工芸技法で、西洋では馴染みのあるもの。本来は木材や金属に施す加工を、ガボーさんは紙に取り入れていた。美しい金属箔のきらめきに魅了された齋藤さんは、「これを大洲和紙でやったら面白いものになるかもしれない」と考えたのだ。

その構想を具現化するため、齋藤さんは天神産紙工場で紙漉きを学びながら、2008年(平成20)に五十崎社中を設立。かねてから和紙に興味をもっていたガボーさんは、同年8月から約2年間内子町に滞在し、ギルディングの技法を齋藤さんらに指導した。

(※)…叩いて伸ばすなどして、箔状にした金属を糊などで粘着させ、余分な部分を払い落として模様を浮かび上がらせる装飾技法。金箔や銀箔などを用いる。似たような技法として、日本には漆器などに用いられる箔押しがある。
和紙の素を重ねていく様子
簀桁に残った繊維質の和紙の素を作業台に重ねていく。このとき、水滴が紙の上に落ちないように細心の注意を払う
重ねられた和紙
漉いたばかりの和紙は、しとどに濡れている。このあと、重石をのせて水分を抜く
濡れている和紙を手作業で乾かしている
熱湯を溜めたステンレス製の乾燥機にのせて、1枚ずつ丁寧に乾かす 
小田川の地下水
ポンプで汲み上げた小田川の地下水。手漉きの作業だけではなく、紙料の加工、湯熱による乾燥にも水は不可欠
ハガキや一筆箋などが並ぶ
大きな和紙だけではなく、ハガキや一筆箋などの小物も販売。天井から吊り下げられているのは、齋藤さんが開発したこより和紙。独特の風合いをもつ装飾和紙として人気だ
産みの苦しみを経て世界デビューしたギルディング和紙

ギルディングの技法を和紙に取り入れるにあたり、もっとも苦労したのは糊の開発。本来、ギルディングは木製の額に箔を定着させる。植物繊維を原料とした糊では、表面に凹凸のある和紙に定着させるのが難しい。「とにかく、いろいろ試しました。納得できる糊を見つけるのに1年を費やしました」と齋藤さんは振り返る。

そんな苦労の甲斐があり、ようやく完成したギルディング和紙を、2009年(平成21)にヨーロッパ最大級のインテリア・デザイン見本市「パリ メゾン・エ・オブジェ」に出展。その後も中国、イギリス、イタリア、ドイツの見本市に積極的に出展。海外のインテリアデザイナーや建築家に、壁紙など室内装飾のツールとしてギルディング和紙を売り込んだ。同時に、「海外で話題になると、逆輸入のような形で国内にも波及効果が生まれる」との予測通り、ギルディング和紙は、盛んにマスコミに取り上げられるようになった。

五十崎社中の設立から約10年、こうした地道な取り組みは少しずつ実を結び始める。2017年(平成29)、フランス・パリのデザインウィークで、有名ファッションブランドの店内装飾に採用されたことが大きな話題に。愛媛県内では、道後温泉別館 飛鳥乃湯泉(あすかのゆ)の天吊シェードやランプシェードなどに、ギルディング和紙が使われた。さらにホテルオークラ・マカオなど国内外のホテル、商業施設においても、ギルディング和紙が内装材として使われるようになった。

暖色系の箔で装飾されたギルディング和紙
ギルディング和紙は、壁紙のほか、ランプシェードなどにも使われている。額縁に入れて装飾品として使いたいと購入する人も多い。下部の赤みを帯びているのは銅の箔
ギルディング和紙を製造する様子
ギルディング和紙の製造工程。シルクスクリーンの型で糊をおき、そこに金属箔を粘着させる
和紙小物が並ぶ様子
ショールームには名刺入れなどギルディング和紙小物も並んでいる
和紙に惹かれて移住里山の小さな紙ショップ

2020年(令和2)3月、齋藤さんは五十崎社中で発揮した手腕が認められ、天神産紙工場の専務取締役を兼務することになった。風情がある同社の工房に、ギルディング和紙のショップとショールーム、ギャラリーを開設した齋藤さん。ギャラリーでは若手クリエーターの作品展などを行い、この地に足を運ぶ人を増やそうとしている。

また、職人の育成にも取り組んでおり、ギルディング和紙に興味をもつ若者を採用し、技術の継承も行っている。現在、天神産紙工場には7人の職人が在籍。なかには移住者もいる。

若手職人の一人、浪江由唯(なみえゆい)さんは京都府出身。大学時代に旅先で出会った土佐和紙に魅了された浪江さんは、大学卒業から2年経ったとき、1年間かけてヨーロッパやアジアなど15カ国の紙の工房を訪ね歩いた。帰国後、紙に関わる仕事をしたいと考え、今度は国内の紙産地を訪問。内子町もその一つだ。「まず惹かれたのは、世界でここにしかないギルディング和紙。またこの町には、アクセサリー作家や小さな印刷工房が活動しており、個人レベルでも何かできるのではと可能性を感じて、昨年春に移住しました」と浪江さん。

昨年秋には、天神産紙工場で働きながら、これまでの体験の集大成として、和紙のショップ「kami/(かみひとえ)」をオープンした。天神産紙工場から車で約10分、店は山々に抱かれるように佇む旧御祓(みそぎ)小学校を活用した「コミュニティスペースみそぎの里」のなかにある。

「ここで扱っている商品は、大洲和紙や海外で出会った手漉き紙、それらを材料にした小物です。販売だけではなく、ノートづくりのワークショップなども行っています」。見て、触れて、作ることで、自身と同世代の若い人に、和紙や手漉き紙の良さを知ってもらいたいというのが彼女の願いだ。

みそぎの里には自家焙煎コーヒーが味わえるカフェや、浪江さんの移住のきっかけにもなった活版印刷を行う印刷工房もある。大洲和紙の故郷は、若い力により新たな魅力が生み出されている。

ギルディング和紙が台や壁に飾られている
ギルディング和紙のショールーム。大小さまざまな作品に出会うことができる
齋藤さん
「ギルディング和紙を通して、内子町の魅力を広く発信していきたい」と話す齋藤さん
パリ メゾン・エ・オブジェの様子
これまでに4回出展した「パリ メゾン・エ・オブジェ」の様子。海外のバイヤーたちに興味をもってもらうなど、毎回手応えを感じている
道後御湯の様子
ギルディング和紙は、2018年(平成30)にオープンしたホテル「道後御湯(みゆ)」の装飾品としても採用された
kami/内部
かつての理科準備室が「kami/」のショップ。多様な紙の手触りを楽しみながら選ぶことができる
浪江さん
昨年3月、自身の手漉き紙にまつわる旅をまとめた『世界の紙を巡る旅』(烽火書房刊)を著した浪江さん
天神産紙工場の外観
天神産紙工場(五十崎社中ショップ)
kami/外観
kami/
五十崎社中
住所 愛媛県喜多郡内子町五十崎甲1620-3
電話番号 0893-44-4403
URL https://www.ikazaki.jp
天神産紙工場(五十崎社中ショップ)
住所 愛媛県喜多郡内子町平岡甲1240-1
電話番号 0893-44-2002
営業時間 9:00〜17:00
定休日 お盆・12月29日〜1月4日
駐車場 あり
備考 要予約で手漉き和紙体験(体験料1,500円・工房見学付き)、
ギルディング体験(2人以上で1人1,500円)も受付
URL https://tenjinsanshi.business.site/#testimonials
五十崎凧博物館
住所 愛媛県喜多郡内子町五十崎甲1437
電話番号 0893-44-5200
営業時間 9:00〜16:30
休館日 月曜日(祝日の場合は開館)、12月29日〜1月2日
入館料 一般300円、小・中学生150円
駐車場 あり
備考 凧作り体験1セット2,000円(入館料込み)、うちわ作り体験1枚1,000円も受付。
kami/
住所 愛媛県喜多郡内子町只海甲456(みそぎの里内)
備考 営業は金・土・日曜日の12:00〜17:00を基本とし、イベントなどにより臨時休業あり。
営業状況はインスタグラムにて確認を(年末年始の金・土・日曜日は休み)
URL https://www.instagram.com/kamihitoe_lab/

各施設の営業状況、営業時間はHP等でご確認ください。撮影のためマスクを外している場合があります