内子町小田地区を源流とする小田川は、一級河川・肱川(ひじかわ)の支流の一つ。豊富な水量を生かし、大正時代までは川船が行き交う「川の道」であった。下り荷には、五十崎地区で作られた大洲和紙も積まれていたという。
清流のほとりに、和風の堂々とした建物がある。「五十崎凧博物館」だ。この地区では、毎年5月5日に行われる「いかざき大凧合戦」が有名。凧の糸を切りあう大凧合戦の他に、子どもの健やかな成長を願って行われる初節句行事や、100畳大凧あげなどが行われるなど、400年の歴史をもつ伝統行事として受け継がれている。大凧は風の抵抗を強く受けるが、丈夫な大洲和紙で作られているため、これに耐え得る。博物館には合戦で使用された凧も展示されており、その迫力に圧倒される。
大凧合戦の凧に使われている和紙を製造しているのは、小田川をはさんで対岸に位置する「天神産紙(てんじんさんし)工場」。大正初期に創業し、書道用紙や障子紙、表装用紙などを「流し漉き」の技法で製造している。流し漉きは、楮(こうぞ)や三椏(みつまた)、雁皮(がんぴ)などの紙料を「ねり」と呼ばれる粘剤とともに漉き舟に入れ、簀桁(すけた)ですくい取りながら漉く手法。
紙漉きの工程で、職人は簀桁を前後左右に動かす。これにより繊維を緊密に絡み合わせ、厚みの調整を行う。明治時代、五十崎地区には農家の副業も含めて400軒以上の手漉きの従事者がいたが、昭和に入って激減。現在、工房は五十崎地区に2軒、かつて大洲藩の領内であった西予市に1軒を残すのみとなった。「機械漉きの普及、ライフスタイルや住宅事情が洋式に変化したことにより、手漉き和紙の出番が少なくなったのです。また近年は職人の高齢化が進んでおり、技術をどう継承していくかも課題です」と話すのは、独自の和紙製品を製造している株式会社五十崎社中の代表を務める齋藤宏之さん。彼は異業種から運命に導かれるように、大洲和紙の世界へと入った。