寛政時代(1789〜1801年)、阿波和三盆の製糖に成功したことに由来して誕生したといわれている「阿波ういろ」。その祝いで、徳島藩主や領民が旧暦3月3日に食べたと伝わっている。「これ以降、家庭で作るお菓子として受け継がれてきたようです」と話すのは、1852年(嘉永5)創業の「日の出楼」の六代目 松村清一郎さん。徳島市内の金刀比羅(こんぴら)神社門前に位置するこの店は、阿波おどりの歌に「日の出は餅屋じゃ」と歌われていたように餅屋として営業していた。その後、家庭で作る習慣が廃れ始めたのに合わせて、「阿波ういろ」の製造も始めた。
日の出楼では、小豆餡と米粉、餅粉を練り合わせて、蒸篭(せいろ)でじっくりと蒸し上げたものを販売している。愛知県の「名古屋ういろう」、山口県の「山口ういろう」と共に「日本三大ういろう」に数えられているが、淡白な味わいの名古屋、わらび餅のような食感の山口に対して、もっちりとした食感や小豆の風味が特徴となっている。
「阿波ういろ」は、上巳の節句の際に行われていた遊山(ゆさん)にも欠かせないもの。「遊山箱という三段重にご馳走や阿波ういろを詰めて、子どもたちが野遊びや磯遊びを楽しむという徳島県独自の風習です」と松村さん。遊山は徳島ならではの雛祭りとも言え、今でも楽しい記憶とともに味わう人も多い。現在は徳島銘菓として複数の菓子店で年中製造をしている「阿波ういろ」だが、「うららかな初春、野山に思いを馳せながら味わってほしい」と願う松村さんだ。