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空に大輪の花を咲かせる 四国の花火師たち 空に大輪の花を咲かせる 四国の花火師たち
2年連続で中止となったが、今夏は開催が予定されている「松山港まつり 三津浜花火大会」。8月6日20時から1万2,000発の打ち揚げを予定
写真提供/松山港まつり振興会

夜空を彩る打ち揚げ花火は夏の風物詩。その起源は、1732年(享保(きょうほう)17)の享保の大飢饉(ききん)だといわれている。飢饉の犠牲者の慰霊や疫病退散を祈願するため、翌年に隅田川(東京都)で打ち揚げた花火が、現在も隅田川花火大会として受け継がれているのだ。この国内最古の花火大会を思わせるのが、コロナ禍にあって各地で揚げられたシークレット花火。予告なく打ち揚げられた花火が、医療従事者や市民の心を慰めたことは記憶に新しい。ここ2年、密を避けるために四国各地の花火大会は中止を余儀なくされたが、今夏は、復活が予定されている大会もある。そこで花火製造や打ち揚げに関わる四国の「花火師」を訪ね、その苦労や新たな挑戦、花火に込めた思いに迫った。

人気花火大会を担う花火師〔 愛媛県 宇和島市 〕株式会社 カネコ
宇和島藩伊達家の家臣が趣味で始めた花火作り

「花火の製造や点火だけじゃなく、機器を設置する人、打ち揚げ後の片付けをする人も花火師。つまり花火師とは、花火に関わる全てのプロフェッショナルを指す言葉なのです」と説明するのは、愛媛県宇和島市にある株式会社カネコ 花火部の村田孝一さん。同社は、1884年(明治17)に花火の製造を始めた。「創業は私の先祖の趣味に関係しているんですよ」と金子仁代表取締役会長。金子家の先祖は、宇和島藩初代藩主の伊達秀宗の家臣として、秀宗とともに仙台からこの地へやって来た武士。代々、趣味で花火を作っていたようで、和霊(われい)神社に打ち揚げ花火を奉納したことからこの年を創業年とした。

1951年(昭和26)、新しい事業に挑戦しようと金子会長は花火と同じように火薬を使用するパーティークラッカーの製造に参入。その需要が高まったことを受けて、約50年前に花火製造からは手を引き、今では国内シェア90%を誇るパーティークラッカーのメーカーとして成長している。

それでも「花火はカネコの原点」と、花火部は打ち揚げを専門とする花火師集団として存続し、松山市の三津浜花火大会や大洲市の大洲川まつり花火大会など多数のイベントで打ち揚げを担っている。

カネコに残された明治時代の書付。
和霊神社に祀られた山家清兵衛の魂を慰めるために打ち揚げた花火の名が記されている
約70年前、クラッカー製造を始めたのは、花火の時期が夏に限られていたため。「社業を安定させたいと私が行動しました」と話す金子会長
「花火に関わる仕事は、当社のアイデンティティ」と話す村田さん。手にしているのは、自社で製造している巨大クラッカー
カネコが打ち揚げを担っている三津浜花火大会
時代とともに進化する色やデザイン演出方法

花火は時代とともに進化を遂げている。例えば鮮やかな色合いは金属が燃える炎色反応で生まれるが、「江戸時代の花火の火薬は硝石と硫黄、木炭で作られていたため浮世絵などに描かれている赤橙色のみでした」と村田さん。この日本古来の花火の色を「和火」と呼ぶ。明治維新後、多様な発光剤や彩色光材が輸入され、色鮮やかな「洋火」の花火が作られるようになった。

花火玉の中には、「星」と「割薬(わりやく)」という2種類の火薬の粒が詰められている。「星」は火や煙を出しながら燃えるもので、「割薬」は星を飛ばすためのもの。「星」と「割薬」の詰め方で、菊や牡丹など花火の形が作られる。「色と形の組み合わせで、オリジナル花火を作ることもできるようになりました。主催者と相談し、デザインを提案するのも私たち花火部の大切な仕事です」と村田さん。

花火の打ち揚げ方法も大きく様変わりし、より安全に、より多様な演出ができるようになっている。かつては人力で打ち揚げ筒に火種を入れる直接点火が主流であったが、遠隔で操作を行う電気点火へと移行。約20年前からはコンピューター点火機も導入された。この点火機は、100分の1秒単位で制御ができ、音楽に合わせたより精密な打ち揚げ演出が可能となった。このほか花火と高出力レーザー光による空間演出、低温噴出(低温で吹き出す花火)なども好評。

カネコでは、所属する花火師約30人で年間80回程度の花火の打ち揚げを行っている。花火大会が中止となったコロナ禍では、シークレット花火を2年連続で打ち揚げた。初年度はその費用を自社で負担したという。「こんな時に花火なんてと言われるのでは」という不安もあったが、多くの人から感謝の言葉が寄せられた。「かえって私たちが花火の力を知ることができました。花火は当社の原点なのだとあらためて感じました」と村田さん。

この夏を誰よりも心待ちにしているのは、村田さんら花火師なのかもしれない。

球形花火の断面図
星 火や煙を出しながら燃える火薬の粒
割薬 花火玉を上空で破裂させ星を飛ばす
竜頭 取っ手
導火線 中の割薬に点火させる線
玉皮 火薬を包む紙
資料提供/(公社)日本煙火協会
コンピューター制御による点火機。こうした機器の導入で花火師たちの安全性が向上している
玉の大きさに合わせてさまざまな打ち揚げ筒が準備される
花火玉の主な種類
割物 花火玉が破裂した時に星が玉状に広がる。菊や牡丹、万華鏡など。
ポカ物 花火玉が上空で2つに割れて星が落ちていく。柳、蜂など。
小割物 大きな花火玉に小さな花火玉を詰めており、小さな花火がたくさん開く。千輪など。
資料提供/(公社)日本煙火協会
株式会社カネコ
住所 愛媛県宇和島市伊吹町141-1
電話番号 0895-25-1112
URL http://www.p-kaneko.co.jp
産地に新風を吹かせる若手花火師〔 徳島県 阿南市 〕 有限会社 岸火工品製造所
丹念な工程を経る「阿波花火」の製造

徳島県は西日本屈指の花火の生産地。「江戸時代に活躍した阿波水軍は、軍用の火薬の製造や貯蔵に長けていました。平和になり、その火薬を転用し阿波花火の製造が始まったといわれています」と話すのは、1887年(明治20)に創業した岸火工品製造所7代目の岸洋介さん。

2004年(平成16)、高校を卒業した岸さんは、花火師を目指して父に弟子入りした。幼い頃から家業を手伝い、会場で花火を喜ぶ人の姿を見たことが、この道を選んだ理由だ。「人を驚かせたり感動させたりする花火を作りたい」。そんな思いを抱いて、必要な資格取得にも取り組んだ。

花火作りは火薬の調合から始まる。配合通りに計量し、丹念に混ぜて粉末の火薬を作る。これに水を加えて練り、火薬をまぶしながら大きくする「星掛」をし、天日で乾燥させる。星掛と乾燥は必要な大きさになるまで繰り返し行う。出来上がった星と割薬を玉皮に詰めて、表面にクラフト紙を何重にも貼る「玉貼り」でようやく完成する。1個の花火が出来上がるまでに要するのは3〜6カ月。全ての仕事をこなせるようになるまでは最低でも5年。岸さんは、各工程の仕事をしっかりと身に付けた。

「何カ月もかけて作り、数秒で燃え尽きる。その儚さも花火の魅力」と話す岸さん
花火の基本ともなる星の製造。その大きさや均一な火薬の量により、打ち揚げられたときの美しさが左右される
独自の色合いを持つ「阿波藍花火」を開発

仕事にも慣れた2011年(平成23)、岸さんはこれまでにないオリジナルの花火「立体ハート」を完成させた。平面的なハート花火はそれまでもあったが、岸さんの花火は丸く膨らんでいるのが特徴。火薬の詰め方の工夫により、これを成し得た。

次に岸さんが挑戦したのは、阿波藍色の花火を作ること。青色の花火はすでにあるが、徳島らしい色の花火を生み出したいと考えたのだ。ところがこれが一筋縄ではいかなかった。

「青色の花火には銅などが使われますが、高温だと青が出ず、白っぽくなるため低温になるよう調整しないといけない。ただ、低温になると鮮やかさが損なわれてしまう。思うような色を出すことができず苦労しました」。火薬や金属の配合を変え、改良を繰り返す中で、原点に帰ろうと昔の書籍を紐解いた。そこに書かれていた助燃剤(燃焼を促す物質)にヒントを得て、必要な薬剤の配合をいく通りも試した。約2年間を費やして、2017年(平成29)に、阿波藍色の花火が完成する。そして翌年「阿波藍花火」として商標登録も果たした。

一般的に花火大会のフィナーレは冠菊(かむろぎく)を打ち上げることが多いが、阿波藍花火で締めくくると「余韻があって良い」という声が聞こえ、開発の苦労を忘れさせてくれた。

岸さんらが主催し2019年(令和元)に開催された全国花火師競技大会「にし阿波の花火」。阿波藍花火を含む、西日本最大級の約2万発が打ち揚げられた
世界のどこにもない花火で見る人を感動させたい

秋田県大仙(だいせん)市で開催される「新作花火コレクション」は、全国の新進気鋭の花火師たちが腕を競い合う競技会。岸さんは2018年(平成30)、藍色からオレンジへと転じる「人生の時間の経過」を表現した花火で銅賞を受賞した。花火師として脂がのってきたその頃、高知県出身の安岡沙都さんが、「花火師になり、自分の作った花火で人を感動させたい」と入社。「まさに私が花火師を目指したのと同じ理由。業界は高齢化が進んでいますが、こうした若い世代も惹きつける仕事なんだと勇気を得ました」と岸さんは振り返る。安岡さんの指導をしながら「次のオリジナル花火を開発したい」と意気込んでいた矢先、コロナ禍が襲いかかる。予定していた花火大会は全て中止となり、2020年(令和2)夏の売り上げは9割減。先の見えない状況ではあったが、岸さんは前を向いた。「今だからできることを」と、仲間とともに全国の花火メーカーに声をかけて世界初のオンライン花火競技会を企画。香川県の国営讃岐まんのう公園を会場に岸火工品製造所が打ち揚げを行い、配信時には岸さんが解説をした。

翌年は「花火で卒業生を送り出したい」と願う徳島県立阿南光高等学校の生徒たちによる「光てらせプロジェクト」に全面協力。高校生が企画したオリジナル音楽花火の製造と打ち揚げを行った。

少しずつ日常を取り戻し、今年は花火を打ち揚げる機会も増えてきたが、岸さんは「花火を打ち揚げることができなかった2年間が自分を大きくしてくれた」と感じている。オンラインの活用は、新しい花火の楽しみ方として定着しそうな予感もある。

今、世界のどこにもない新しい花火を考案中の岸さん。その花火に驚き、感動する日はそう遠くないかもしれない。

星や割薬を入れるための玉皮。手作業で紙を貼り合わせて作っている
玉皮に星を詰めていく。隙間なく詰めるのも年季が必要な作業
作業の最後には、花火の名前を記す
花火師を目指して入社した安岡さん。「今は勉強の日々です」と笑顔
打ち揚げ筒の準備をする花火師。現代の花火は、ほとんどが事前に筒の中に玉を仕込んでおく
有限会社岸火工品製造所
住所 徳島県阿南市新野町林148-1
電話番号 0884-36-3644
URL https://kishi-hanabi.com

撮影のためにマスクを外している場合があります