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土佐の自然が導いた植物界の巨人牧野富太郎(高知県) 土佐の自然が導いた植物界の巨人牧野富太郎(高知県)
高知県立牧野植物園の中庭。ここには富太郎が命名した植物、植物図に描いた植物など約250種類を植栽している

1862年(文久2)、高知県中西部に位置する佐川(さかわ)町で生まれた牧野富太郎は、日本の植物分類学の基礎を築いた人物。94年の生涯で約40万枚もの植物標本を収集し、国内の植物約8,000種類のうち新種や新品種など1,500種類以上を命名。日本の植物学を世界水準に高めた。また現在も研究者や愛好家にとって必携の書である『牧野日本植物図鑑』を刊行するなど、植物界に多大な功績を残している。

こうした業績だけではなく、天真爛漫な人柄でも多くの人を惹きつけた富太郎。その生涯は波乱に満ちており、今年4月からは彼をモデルにしたNHKの連続テレビ小説『らんまん』が放映される。ドラマの撮影は高知県内でも行われた。

そこで、高知県内にある富太郎ゆかりの施設を訪ねて、偉業や人となりを探っていく。

牧野富太郎の生涯

1862年(文久2)/土佐国高岡郡佐川村(現・高知県高岡郡佐川町)の裕福な商家(岸屋)の一人息子として生まれる
1874年(明治7)/佐川小学校に入学するが2年後に自主退学(12歳)
1877年(明治10)/佐川小学校授業生(臨時教員)となる(15歳)
1884年(明治17)/上京。東京大学理学部植物学教室への出入りを許される(22歳)
1887年(明治20)/市川延次郎(後に田中と改姓)、染谷徳五郎とともに「植物学雑誌」創刊(25歳)
1888年(明治21)/「日本植物志図篇」の刊行を開始。壽衛と所帯を持つ(26歳)
1889年(明治22)/「植物学雑誌」第3巻第23号に大久保三郎と日本で初めて新種「ヤマトグサ」に学名を付ける(27歳)
1893年(明治26)/帝国大学理科大学(※)助手となる(31歳)
1909年(明治42)/新種「ヤッコソウ」を発表(47歳)
1912年(明治45)/東京帝国大学理科大学(※)講師となる(50歳)
1927年(昭和2)/東京帝国大学(※)より理学博士の学位を受ける(65歳)
1940年(昭和15)/「牧野日本植物図鑑」発刊(78歳)
1951年(昭和26)/第1回文化功労者に選定(89歳)
1957年(昭和32)1月18日/94歳で永眠。没後、文化勲章を授与される
※現東京大学
(文中の牧野富太郎の年齢は満年齢に統一しています)

研究者だけではなく市井の植物愛好家とも交流を深める契機となった植物採集★
開花すると手を広げたようになる「ヤッコソウ」。その名を富太郎が名付けた★
1939年(昭和14)9月8日、77歳の富太郎を写した『ボウブラ(かぼちゃ)と先生』★
50周年記念庭園の美しい春の眺め★

★…高知県立牧野植物園 提供

小学校を中途退学 独学で植物の研究に没頭

牧野富太郎の生家は佐川町で酒造を営む裕福な商家であったが、3歳から6歳までの間に父、母、祖父を相次いで亡くした。祖母の浪子は不幸な孫を溺愛し、欲しがるものはなんでも与えたという。富太郎は病弱であったが、好奇心や探究心が旺盛で、番頭が持っていた時計の仕組みが気になり、分解して構造を調べたという逸話も残っている。また幼い頃から私塾で習字や漢学を学び、11歳から通い始めた郷学(ごうがく)(※1)「名教(めいこう)館」では地理・天文・物理を学んだ。

学校制度が整い始めた1874年(明治7)、廃校になった名教館に代わり、佐川小学校に通い始めたが、富太郎はそれまでに学んだ学問に比べると物足りなさを感じた。

「そのため富太郎は2年で自主退学。以後は読書や植物に親しむ日々だったそうです。特に夢中になったのは、親友の父親から借りた本草(ほんぞう)学(薬用となる植物や動物、鉱物を研究する学問)の書籍。これを写本し、植物の名を調べ、探すことに没頭したようです」と話すのは、「高知県立牧野植物園」広報課の橋本渉さん。当時の富太郎の遊び場は、自宅の裏にあった金峰(きんぶ)神社。境内で採集した「バイカオウレン」の花は、彼が生涯愛した花の一つである。

後に富太郎は「草を褥(しとね)(布団)に木の根を枕、花と恋して九十年(※2)」という歌を詠んだが、人生をかけた「恋」は、故郷である佐川町から始まったのだ。

※1/郷学…江戸時代から明治の初めに、藩士や庶民の教育のために設けられた学校
※2/九十年…最初、富太郎は「五十年」と詠んだが、自身が年を重ねるにつれて修正をした

初めて上京し、大いに刺激を受けた20歳頃の富太郎★
酒蔵の土蔵などが立ち並ぶ佐川町上町地区。名教館や青山文庫など、富太郎ゆかりのスポットが集中するエリア
少年時代の富太郎が一人で遊んでいた金峰神社。植物は富太郎にとって友人のような存在だ
日本の植物分類学を大きく進歩させた富太郎

富太郎は15歳から佐川小学校の臨時教員として教鞭を執ったが、2年で退職。高知師範学校の教諭・永沼小一郎(こいちろう)に師事し、欧米の植物学について学んだ。1881年(明治14)には初めて上京。博覧会へと足を運び、参考書やドイツ製の顕微鏡を手に入れた。また有名な植物学者たちの話を聞いたり、植物園に足を運んだりして見聞を広めたという。帰途には日光や箱根、琵琶湖国定公園内にある伊吹山にも足を伸ばし、植物採集を行った。

いったんは高知へと帰ったが、「もっと植物の研究に邁進したい」と、1884年(明治17)に再び上京。東京大学理学部植物学教室への出入りを許され、以降10年近くは東京と高知を頻繁に往復しながら採集と研究を進めた。

「植物学の分野において、富太郎が大きな功績を残せた背景には、3つの要素があると思います。その第1が気概。日本の研究を進歩させるために、日本人が見つけた日本の植物に学名を付け、日本の雑誌で発表することにこだわっていました」と橋本さん。

当時、日本の植物分類学は草創期にあり、国内で見慣れない植物が見つかっても新種かどうかの判断は、海外の研究者に委ねられていた。当然のことながら学名も海外で付けられていた。だが富太郎は、「日本で見つかった新種には日本人が学名を付けるべきだ」と考えていた。

その想いは、1889年(明治22)に実現することができた。高知県内で発見した日本固有種の多年草に「ヤマトグサ」と名付け、自身が創刊に関わった『植物学雑誌』に論文を発表したのだ。これが日本固有種を日本人が発見し、和名を付けて日本の学術雑誌に発表した国内で最初の例となった。

「ヤマトグサ」は4月から5月にかけて可憐な花を咲かせる。その様子は高知県立牧野植物園で見られる年もある。

「新研究棟など園内には見所が増えています」と話す高知県立牧野植物園の広報担当・橋本さん
『大日本植物志』に掲載されたユキノシタ科の植物シコクチャルメルソウの植物図の原画(高知県立牧野植物園 所蔵)
幼少期に培った画力で完成させた『牧野式植物図』

橋本さんが考える第2の要素は卓越した画力。「当園でも富太郎が描いた植物図を多数所蔵し、その一部を展示していますが、植物の特徴を的確に捉え、精緻に描かれた図は『牧野式植物図』と呼ばれています」。

『牧野式植物図』は多くの個体を観察した上で、描こうとする個体が典型的・標準的なものであるかどうかをしっかりと吟味。全体図に加えて、生殖器官や栄養器官などの部分図、解剖図、拡大図、時間の経過による形態の変化などをバランスよく表現している。橋本さんは「こうした画力は、少年時代に夢中になった写本により培われたのではないでしょうか」と推測する。

そして第3の要素は、全国に広げたネットワーク。「富太郎は植物分類学の普及・教育活動にも熱心で、沖縄県以外の全都道府県に足を運び、講演や指導を行っていました」と橋本さん。地方でのフィールドワークでは、黒山のように富太郎の周りに人々が集まり、彼が動くと黒い山が動くと言われるほどの人気ぶり。自分を慕う人々を富太郎は丁寧に指導した。こうした活動は日本の植物分類学の底上げにつながったことに加えて、そこで交流を結んだ在野の人々が与えてくれる情報を、自身の研究に役立てることもできた。

観察力、描写力、構成力により形づくられた『牧野式植物図』と、富太郎が築いたネットワークの集大成ともいえるのが、1940年(昭和15)に発刊された『牧野日本植物図鑑』。3,200点以上の植物を掲載したこの図鑑は版を重ねて、現在『新牧野日本植物図鑑』となり、多くの人を植物の世界へと案内している。

牧野富太郎を知る上で訪ねたい施設 高知県立牧野植物園

富太郎が逝去した翌年の1958年(昭和33)に開園。植物図など貴重な資料約60,000点を収蔵しており、約8haの広大な園地にはゆかりの植物など3,000種類以上が植栽されている。園内には「牧野富太郎記念館」や「50周年記念庭園」「温室」などのたくさんの見どころがあり、繰り返し足を運ぶ人も多い。

貴重な資料が展示された牧野富太郎記念館展示館
富太郎が発見した「ヤマトグサ」が見られる年もある★
南園で植物に囲まれた牧野富太郎像
高知県立牧野植物園
住所 高知県高知市五台山4200-6
電話番号 088-882-2601
開園時間 9:00〜17:00(最終入園16:30)
休園日 年末年始(12月27日~1月1日)、2023年(令和5)は5月30日、10月30日、11月27日
入園料 730円(高校生以下無料)
駐車場 有り
URL https://www.makino.or.jp

★…高知県立牧野植物園 提供

華やかな業績の裏で 富太郎を支えた愛妻

私生活では1888年(明治21)、26歳で東京の菓子屋の娘である壽衛(すえ)と所帯を持つ。2年後の1890年(明治23)、富太郎は江戸川の用水池で「ムジナモ」を発見する。花の精密図はヨーロッパの文献にも引用され、「牧野富太郎」の名は世界へと広まった。しかし立派な功績を上げれば上げるほど、それを妬む人もいた。

「ムジナモ」の発見と前後して、富太郎に反感を持つ教授陣により帝国大学理科大学植物学教室への出入りを禁止されてしまったのだ。これに憤慨した富太郎は、ロシアの植物学者カール・ヨハン・マキシモヴィッチを頼ってロシア移住を計画するが、マキシモヴィッチの急死により断念した。

さらに追い討ちをかけたのは、貧乏との戦い。実家からの仕送りで生活費や研究費を賄っていたが、徐々に実家は傾いていく。壽衛は金策に走り、経済観念の全くない富太郎を必死で支えた。お坊ちゃん育ちの富太郎は、高額な書籍を躊躇なく購入するなど、研究のためにお金を惜しまず費やした。時には家賃に窮することもあり、約30回も引越しをしたという逸話もある。壽衛はそんな夫に愚痴一つこぼさず、やりくりと子育てに奔走した。

1928年(昭和3)、壽衛は54歳で他界した。その年、富太郎は仙台で発見した新種の笹に「スエコザサ」と名付けた。それは、苦労をかけた妻への最後の贈り物となった。

胴乱(植物採集用の入れ物)を肩に掛けた75歳の富太郎★
北隆館から出版された『牧野日本植物図鑑』の初版本。新たな事実が分かる度に書き加えられ再版された(『牧野日本植物図鑑』初版本1940年発行・株式会社北隆館刊)★
高知県立牧野植物園内に植栽された「スエコザサ」。富太郎が愛妻に捧げた句の碑もある
研究一筋の富太郎を献身的に支え続けた愛妻・壽衛★
佐川町と越知町 今も残る富太郎の足跡

後年は東京を拠点にした富太郎だが、故郷・高知との関わりを生涯持ち続けた。富太郎が贈った「ソメイヨシノ」を植栽した牧野公園は、「日本の桜百選」に選ばれた桜の名所となっている。園の中腹には分骨された墓所もある。

酒蔵がある町の中心部には、町出身の偉人を紹介した青山(せいざん)文庫や移築整備された名教館が佇んでいる。また生家跡に整備された「牧野富太郎ふるさと館」には、愛用品など貴重な資料を展示。施設の管理運営をしているNPO法人 佐川くろがねの会は、ボランティアガイドも受け付けており、昨年から申し込みが急増している。

高知県各地で植物採集を行った富太郎だが、「研究の山」として繰り返し足を運んだのは越知町の横倉(よこぐら)山。約1,300種類もの植物が自生する植物の宝庫だ。ここで富太郎が発見した新種は約20種類にもなる。麓にある「横倉山自然の森博物館」には、富太郎の植物標本を収蔵。「標本に記載された日付や残された写真を見ると、生涯にわたって折に触れ、この山を訪ねたことがわかります」と話すのは、学芸員の谷地森(やちもり)秀二さん。富太郎はこの山で「ヨコグラノキ」「ヨコグラツクバネ」「ヨコグラブドウ」などの新種を発見、命名した。

「横倉山は安徳天皇陵墓参考地(りょうぼさんこうち)のひとつであることから、手付かずのままに残された貴重な山。陵墓参考地周辺にあるアカガシ原生林など、牧野博士が見た景色をぜひ体感してほしい」と谷地森さん。

高知県内に点在する足跡を巡れば、富太郎を育んだ高知の豊かな自然を再発見することができるはずだ。

「ドラマをきっかけに佐川町にも足を伸ばして欲しい」と話すNPO法人 佐川くろがねの会の吉野毅(たけし)理事長
「牧野富太郎ふるさと館」の館内。4月からは展示品を増やしリニューアルする
「牧野富太郎ふるさと館」に展示されている富太郎の愛用品のコンパス
「横倉山自然の森博物館」の谷地森学芸員。「ドラマ放映に合わせて展示コーナーを充実させます」と話す
富太郎が横倉山で採取した「ヨコグラブドウ」(絶滅種)の標本。大正時代の初めに採集したという
富太郎ゆかりの資料を展示した部屋。貴重な写真もパネル展示されている

ドラマをきっかけに、牧野富太郎や高知県に関心を持って高知を訪れた人を出迎えることを目的に、2024年3月31日まで高知県全域を対象とした観光博覧会「牧野博士の新休日」を開催中。草花や自然、食や歴史など、高知県の魅力を満喫できる。詳しくはホームページへ。

横倉山自然の森博物館
住所 高知県高岡郡越知町越知丙737-12
電話番号 0889-26-1060
開館時間 9:00〜17:00(最終入館は16:30)
休館日 月曜(祝日の場合は翌日)、12/29〜1/3
入館料 500円、高校・大学生400円、小・中学生200円
駐車場 有り
URL https://www.yokogurayama-museum.jp
牧野富太郎ふるさと館
住所 高知県高岡郡佐川町甲1485
電話番号 0889-20-9800
開館時間 9:00〜12:00、13:00〜17:00
休館日 月曜(祝日の場合は翌日)、12/29〜1/3
入館料 無料
駐車場 無し

★…高知県立牧野植物園 提供 | 撮影のためにマスクを外しています