1862年(文久2)/土佐国高岡郡佐川村(現・高知県高岡郡佐川町)の裕福な商家(岸屋)の一人息子として生まれる
1874年(明治7)/佐川小学校に入学するが2年後に自主退学(12歳)
1877年(明治10)/佐川小学校授業生(臨時教員)となる(15歳)
1884年(明治17)/上京。東京大学理学部植物学教室への出入りを許される(22歳)
1887年(明治20)/市川延次郎(後に田中と改姓)、染谷徳五郎とともに「植物学雑誌」創刊(25歳)
1888年(明治21)/「日本植物志図篇」の刊行を開始。壽衛と所帯を持つ(26歳)
1889年(明治22)/「植物学雑誌」第3巻第23号に大久保三郎と日本で初めて新種「ヤマトグサ」に学名を付ける(27歳)
1893年(明治26)/帝国大学理科大学(※)助手となる(31歳)
1909年(明治42)/新種「ヤッコソウ」を発表(47歳)
1912年(明治45)/東京帝国大学理科大学(※)講師となる(50歳)
1927年(昭和2)/東京帝国大学(※)より理学博士の学位を受ける(65歳)
1940年(昭和15)/「牧野日本植物図鑑」発刊(78歳)
1951年(昭和26)/第1回文化功労者に選定(89歳)
1957年(昭和32)1月18日/94歳で永眠。没後、文化勲章を授与される
※現東京大学
(文中の牧野富太郎の年齢は満年齢に統一しています)