愛媛県内子町は、木蠟と和紙の生産で栄えた歴史をもつ。木蠟はウルシ科のハゼノキの実を原料とし、それを蒸した後に搾って抽出した脂肪分だ。搾ったそのままのものを生(き)蠟、干して漂白したものを晒(さらし)蠟または白(はく)蠟と呼び、こちらは医薬品や化粧品の原料としても重宝されていた。江戸後期から大正時代にかけての内子町は、国内屈指の木蠟(晒蠟)の生産地。海外にも輸出され、品質の良さから高い評価を得ていた。
町の中心部、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている八日市(ようかいち)・護国の町並みは、南北約600mの街道。かつて製蠟で財を成した豪商の屋敷など90軒以上の古い建物が軒を連ねている。町並みを少し下ったところにある「大森和蠟燭屋」は、蠟燭職人が江戸時代後期に開業した小さな店だ。
薄暗い土間が売り場となっており、壁際の棚にはうぐいす色をした大小さまざまな和蠟燭が並んでいる。帳場の奥で手を動かしているのは、大森亮太郎(りょうたろう)さん。「大森和蠟燭屋」の七代目だ。
蠟燭作りは一貫した手作業。まず竹串に和紙と灯芯草(とうしんそう)(い草の髄)をぐるぐると巻き付け、真綿で固定して芯を作る。串を抜いた芯に炭火で溶かした生蠟を手でかけて、乾かし、またかけてという作業を繰り返して少しずつ太くしていく。この製法を「生(き)掛け」という。十分な太さになったら、約50℃の蠟をかけてツヤを出す。和蠟燭の原料は植物なので、表面が木のような質感になるように仕上げるのが大森流。最後に上部を温めながら切り落とす「芯出し」を行い、長さを切り揃えたら完成だ。出来上がった和蠟燭の底を見れば、木の年輪のような層ができている。これは生掛けならではのもので、製法は200年前から変わっていない。大森さんの親戚が焼いている木炭など、昔ながらの原材料も伝統の継承を下支えしている。