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香川から全国へ発信する「現代サーカス」の魅力(香川県) 香川から全国へ発信する「現代サーカス」の魅力(香川県)
SCFの田中代表理事がプロデュースし、北海道で開催された「空知遊覧2017」。主催者の北海道教育大学は、アートマネジメント人材の育成を目的とした事業を手がけている

「現代サーカス」は、1970年代にフランスで発祥した総合芸術のこと。アクロバティックな動きに演劇やダンス、音楽、美術などの芸術的要素を取り入れた高度なパフォーマンスのことだ。その現代サーカスの発信者として、国内で初めて誕生したのが、香川県を拠点とする「瀬戸内サーカスファクトリー(以下:SCF)」。瀬戸内に魅せられ、香川県へと移住してきた田中未知子さんが2011年(平成23)に立ち上げた団体だ。以来、着実に実績を積み上げ、多くの人たちに波及効果をもたらしてきたSCF。決して平坦ではなかったその歩みを追いかけた。

人生を大きく変化させた現代サーカスとの出会い

「一般社団法人 瀬戸内サーカスファクトリー(以下:SCF)」の代表理事である田中未知子さんは、北海道札幌市出身。北海道新聞社で事業局に所属し、美術展や舞台芸術公演の企画主催に携わっていた。2004年(平成16)、札幌芸術の森という野外ステージがリニューアルオープンする際、柿(こけら)落としでフランスの現代サーカスを招くことが決定。「当時は現代サーカスの何たるかもまったく知らなかったのですが、私はフランス語ができたので、メインの担当者に抜てきされました」と田中さん。

事前のやりとりから当日のサポートまで、現代サーカスの世界に浸った田中さんは、身体一つで芸術を創り、感動を生み出すアーティストたちの姿に衝撃を受ける。最初の公演が成功し、翌年も現代サーカスを招くことになった。もちろん田中さんは担当者として手を挙げ、どんどん現代サーカスにのめり込んでいった。とはいえその時代、国内で現代サーカスの知名度はほとんどない。「これを全国に普及させるために、私自身が日本の現代サーカスのパイオニアになろう」と決意し、2007年(平成19)に新聞社を退社。彼女自身が現代サーカスをより深く学び、それを書籍にまとめるために、現代サーカス発祥の地であるフランスへと渡った。

現地では創作場所や劇場を備えた「フランス国立大道芸サーカス情報センター」を拠点に、カンパニーやアーティスト、学校、劇場、フェスティバルなどを取材。ビザの関係もあり3カ月フランスに滞在したら、帰国して国内で3カ月過ごし、再びフランスへ…という生活を2年ほど続けた。フランスでは現代サーカスの持つエネルギーを肌で感じることができたが、それ以上に国を挙げて現代サーカスを支えるシステムが出来上がっていることに感銘を受けた。帰国後、田中さんは執筆に専念し、本を書き上げた。

SCFのアーティスティック・ディレクターで代表理事の田中さん(右)と事務局の豊島勇士さん(左)
田中さんの著書。写真をふんだんに使用して、装丁にもこだわった一冊
01・02・03_2022年(令和4)11月に開催された瀬戸内国際芸術祭2022の県内周遊事業「ヌーヴォー・シルク・ジャポン in 直島」。株式会社JTBとヌーヴォー・シルク・ジャポン推進協議会が主催し、SCFがサーカスを企画制作した。大きな円形の「シルホイール」は現代サーカスで人気の器具
芸能が根付く土地柄がフランスと重なった瀬戸内

2009年(平成21)、渾身の一冊『サーカスに逢いたい~アートになったフランスサーカス(現代企画室刊)』が完成した。出版元代表のアートディレクター・北川フラムさんは、数々の芸術祭を手がけている株式会社アートフロントギャラリーを設立した人であり、その縁もあって田中さんは同社に入社。2010年(平成22)に開催された「第1回瀬戸内国際芸術祭」のパフォーミングアーツ(舞台芸術)担当になった。心の奥底には「いつの日か現代サーカスの公演をしたい」という想いがあり、芸術祭に携わることはその勉強にもなるとも考えていたのだ。「瀬戸内地域を訪れるのは初めてでしたが、ここで私は2度目の人生の転機を迎えました」と田中さん。

まず田中さんは、小豆島の農村歌舞伎に関わり、普段は勤め人や商店主をしている人が演者となることに驚く。ふとした瞬間に見せる役者としての立ち居振る舞いに、「芸術・芸能は特別な人がするものではない」と感じた。「日本全国を探せば、小豆島のように伝統芸能が受け継がれている土地はたくさんあるでしょうが、次のステップを考えていた私には、その様子は現代サーカスが幅広く根付いているフランスと重なったのです」。

もちろん温暖少雨な瀬戸内の気候も、屋外公演がある現代サーカスにうってつけ。何より、田中さんが影響を受けていたのは、国内の隅々にまでネットワークが広がっているフランスの状況。劇場や劇団、学校など、芸術文化の機能が大都市に集約されている日本の状況を変えたいとも考えていたのだ。「香川県は、夢を実現する拠点にふさわしい」と確信した田中さんは、契約期間満了を機にアートフロントギャラリーを退社し、たった1人で任意団体SCFを立ち上げた。

大成功に終わった公演「100年サーカス」

手始めに行ったのは、現代サーカスの講座。といっても大がかりなものではなく、資料は手作り。カフェの一角を借りて数名が集まるという小さな規模で回数を重ねた。少しずつ、興味を持つ人が増えてきた2012年(平成24)、「集まってくれた人に本物を見せたい」と初めての公演を手がけた。場所は琴平電気鉄道の仏生山工場。SCFを応援してくれていた、仏生山温泉の設計者・岡昇平さんが橋渡しとなり、工場が借りられた。日本とフランスを代表するアーティストによる演目「100年サーカス」は、「旅」をテーマにし、レトロ電車も舞台演出の一部となった。

運営には講座に参加してくれた人たちが手を貸してくれ、公演2日ともにチケットは完売し、約800人の来場があった。

「なかには、ことでんの整備士さんたちの姿もありました。ジャグリングに目を丸くしたり、クラウン(道化師)のコミカルな演技に笑ったりする様子を見て、SCFが動き始めたことを実感できました」。

「100年サーカス」は大きな話題となり、SCFに注目が集まった。その後も小さな公演を主催したが、公演時にスタッフが集まり終われば解散という任意団体では、組織としての成長は望めなかった。

「明確なビジョンを持った、法人として運営していかなくては」と考えた田中さんは、2014年(平成26)、8名の理事を擁して一般社団法人を設立。SCFは新たなスタートを切った。

01_琴平電気鉄道の協力のもと開催された「100年サーカス」。物を投げたり操ったりするジャグリング、足で小さなボールを巧みに扱うフットバッグなどのパフォーマンスが観客を魅了した
02_SCFが主催し、2021年(令和3)に屋島山上・県木園で行われた「エ・コ・ラボ・シアター現代サーカス野外公演 森のトコトコ」。環境との共生をテーマに、エアリアル(空中パフォーマンス)やアクロバットダンス、一輪車など多彩なパフォーマンスを披露した
アーティストの移住を機に再始動をしたSCF

法人化後は半年に1回程度公演を実施し、経済的に自立した組織運営を目指した。翌年には大規模公演「第1回創作サーカスフェスティバル」を立ち上げ、5年間継続するというチャレンジを行った。ところが、これがSCFの首を締めることとなる。理由は関係者の作業量が増えてしまったこと。本業を持つ理事たちは、回を重ねるごとに疲弊していった。責任者の田中さんも、スポンサー探しやアーティストとの折衝に忙殺され、息つく暇もない。しかも経営的にも苦しい状況が続いた。2019年(令和元)秋、第5回のフェスティバルを終えたとき、ライフステージの変化もあり「もう続けられない」と理事が全員いなくなっていた。

「この時ばかりは、私も弱気になり、一時期は故郷の北海道に帰ったりもしました」と田中さんは振り返る。そんな心境であったが故に、2020年(令和2)以降は大きな公演の予定を組まなかった。ところが、その年から国内はコロナ禍に見舞われる。

当然ながらSCFは休業状態。田中さんはアルバイトをして日々を過ごしていた。すると思いもしなかった連絡が入る。東京在住のアーティストが四国に移住したいというのだ。アーティストは日々、身体を動かして鍛錬する必要がある。練習場所を失ったアーティストが田中さんを頼ってきたのだ。最終的には6人のアーティストが香川県へと移住してきた。

コロナ禍前、SCFは旧上西小学校(高松市)の体育館を拠点施設として借りていたが、三豊市で建設事業を営む株式会社安藤工業が新たに施設を無償で貸してくれることになり、受入態勢は万全。こうなると再び田中さんのハートに火がつく。「面白いことができそう!」と、移住してきたアーティストとともに年間30以上の公演をこなした。演目によっては屋外でも上演可能な点が、コロナ禍では追い風となったのだ。

01_「第1回創作サーカスフェスティバル」として高松空港近くの特設会場で実施した「naimono ないもの」。アーティストのパフォーマンスと生演奏が融合し、幻想的な世界を創りだした
02・03_2023年(令和5)11月、丸亀市沖の広島で行われた「FLOE フロエ」。フランスを代表するアーティスト、ジャン=バティスト・アンドレ氏が美術作品と競演する作品
04・05_クラシックバレエでソリストをしていた野瀬山瑞希さん。現在は香川県へと移住し、SCFアソシエイト・アーティストとしてシルホイールなどの技を磨いている
06_ミッレ・リュントさんと即興パフォーマンスをしているのは、ダンサーの本田雅治さん。神奈川県出身の本田さんも香川県へ移住してきた。今はダンスに加えてシルホイールにも挑戦中
海外アーティストから見たSCF

デンマーク出身で、ベルギーを拠点に活動をしているMille Lundt(ミッレ・リュント)さんは昨年、日本との芸術交流の強化を目的にSCFに派遣された。そんな彼女にSCFの印象を聞いた。

SCFがある香川には独自の世界観を持つアーティストが集まっており、この地に滞在することで、彼らの技術だけではなく、内面に触れ刺激を受けることができました。こうした状況を創り出したのが、未知子さんです。自身が舞台に立つことはありませんが、彼女は紛れもなくコンテンポラリーアーティスト(現代芸術家)だと感じています。今回のラボはとても有意義でした。いつの日か、SCFのオファーを受けてこの地に帰ってくることを夢見ています

応援団や伴走者とともにパイオニアとして歩む

自治体や企業、人など「地域との協働」は、当初からのSCFのテーマ。これまで県内のクレーン会社や石材屋が舞台装置を作ってくれたこともある。昨年より、SCFのために一肌脱いだのは、山一木材株式会社の熊谷國次社長だ。熊谷さんは「日本の森を未来に残したいと願う私と、現代サーカスを日本に根付かせたいと奮闘する田中さん。どこか共通点を感じて彼女を応援しようと決意しました」と話す。そこで、会社の敷地内にSCFの練習場兼常設舞台を造ってくれることになった。しつらえには自慢の無垢材をふんだんに使っている。そこには、練習や公演を見に来た人に、国産材の良さに触れてほしいとの思惑もある。「私にもSCFにもメリットがある。こんな事例が増えるといい」と熊谷さんは話す。

一方、移住してきたアーティストは、高松と丸亀で開いているサーカス教室の先生としても活動中だ。フランスでは体操教室やダンス教室のように、サーカス教室があるのが一般的。「サーカス教室の開催は当初から私の目標の一つでした。これにより、子どもたちが現代サーカスに興味を持ってくれたらうれしい」と田中さんはほほ笑む。昨年からは高齢者や引きこもり当事者に向けたサーカス教室もスタートした。「芸術的には高みを目指し、活動は裾野を広げる。貪欲に、挑戦し続けたい」と瞳を輝かせる田中さんは、多くの人々を伴走者として、パイオニアとしての道を力強く歩んでいく。

山一木材の敷地内に建設中の練習場兼常設舞台。窓は全開放が可能で、周囲の自然と融合した演目なども可能だ
「SCFのファンが、国産材の良さに触れる場となればありがたい」と話す熊谷社長
サーカスの要素を取り入れた子ども向けの体操教室「リバティ☆キッズジム」を高松と丸亀で開講している。子どもたちは楽しみながら体幹や運動能力を鍛えられる
一般社団法人 瀬戸内サーカスファクトリー
URL https://scf.or.jp
動画 https://scf.or.jp/iwm