メニュー

海からの贈り物真珠と珊瑚の物語(愛媛県・高知県) 海からの贈り物真珠と珊瑚の物語(愛媛県・高知県)
真珠:滑らかな円形ではなく、でこぼこのあるバロック真珠。「バロック」はポルトガル語で「ゆがみ」を意味しているが、その形を生かすことで個性的なアクセサリーに仕上がる
珊瑚:海底の岩から樹木が枝葉を伸ばすように成長する様子から、その形状を残したものを枝珊瑚と呼ぶ。独特の赤みを帯びた血赤珊瑚(ちあかさんご)は、高知県沖など限られた場所でしか見られない

6月1日は真珠の日。「月のしずく」「人魚の涙」などの美しい呼び名を持つ真珠は、西洋では「神の創造物」と言い伝えられてきた。その真珠の一大生産地として知られているのが、愛媛県宇和島市などの宇和海沿岸。この地の真珠養殖は1907年(明治40)頃から始まり、第2次世界大戦後に急成長を遂げた。特徴は全国でも珍しく同じ海域で母貝(ぼがい)と真珠を育てる体制を整えたこと。

一方、真珠と同様に海からの贈り物である珊瑚は、深海で長い時間をかけて育つ貴重な品。高知県は日本の珊瑚漁の発祥の地であり、加工技術も世界最高レベルを誇っている。加えて、県内の関係者は、珊瑚の保護・育成にも取り組んでおり、まさに珊瑚文化の発信地だ。

ともに四国と縁の深い真珠と珊瑚の魅力を探り、付加価値の高い製品作りに取り組む人たちを追いかけた。

大正時代に始まったアコヤ真珠の養殖

宇和島市沖に広がる宇和海は日本トップクラスの真珠の生産地として知られている。その基礎を作ったのは、北宇和郡岩松村(現在の宇和島市)で生まれた小西左金吾(さきんご)だ。小西はこの海域に生息するアコヤ貝が、まれに天然真珠を持っていることに目を付け、1913年(大正2)から本格的に真珠養殖を開始。以降、複数の先人が養殖に取り組み、宇和海は真珠養殖場として全国に知られるようになった。

第2次世界大戦後は、真珠養殖の先駆地である三重県の大手養殖業者が、漁場を求めて愛媛県へとやってきた。宇和海の真珠養殖の急拡大に伴い、地元の漁師は真珠を育てるための母貝の養殖を開始。愛媛県では母貝と真珠、両方の養殖が盛んになった。やがて母貝の養殖業者も真珠養殖を始めるようになり、海外で真珠が人気を博していたことも相まって大いに潤った。

ところが、1967年(昭和42)、真珠の輸出価格が暴落し、その後も下がり続けた。いわゆる真珠不況の始まりだ。その理由は、生産過剰と品質低下であるといわれており、これにより愛媛県に進出していた県外業者は撤退してしまった。しかし地場の養殖業者は、家族経営が多かったことが幸いし、大半が事業を続けることができた。母貝が手に入りやすく、漁協や漁連の指導で地域を挙げて品質向上に取り組んだことも功を奏した。

1974年(昭和49)、愛媛県の真珠生産量は三重県を抜いて初めて日本一となる。しかし、その後もバブル崩壊後の真珠価格の下落、原因不明のアコヤ貝の大量死など、苦難は続く。加えて、かつてはフォーマルなアクセサリーの定番として成人や結婚を機に真珠を購入する人が多かったが、そうした習慣も薄れつつあった。

オリジナルデザインで新しい真珠アクセサリーを

「もっと真珠を身近なものにしたい」と、1998年(平成10)に暁工房を立ち上げたのは、宇和島市出身の橋本暁(あきら)さん。県外でデザイン関係の仕事に就いていた橋本さんは、Uターンして真珠加工の会社に就職し、技術を一から学んだ後、独立。当時、市内には指輪やブローチを、真珠をはめ込むためのフレームから作る加工業者はなく、デザインのバリエーションも限られていた。彫金技術を身に付けて、デザインもできるようになっていた橋本さんは、「宇和海真珠の魅力を際立たせる新しいアクセサリーを生み出そう」とひたすら作業に取り組んだ。ひとりでコツコツと作っているので、製作数は限られている。お客さまはほぼ口コミだった。

転機は独立から10年後に訪れた。松野町でガラス工芸家として活動していたえりかさんとの結婚だ。情報発信や商品開発などに大きな味方を得て、暁工房の名は少しずつ知られるようになった。

橋本さんの高い彫金技術により、真珠の美しさが際立っている作品の数々
夫婦それぞれの感性と技術で開いていく可能性

橋本さんのライフワークともいえるのが、形が個性的なバロック真珠を使ったアクセサリーの製作。真珠が育つには、母貝に核入れをしてから8〜20カ月かかるが、7割近くはきれいな円形にならない。成長段階でゆがみ(ポルトガル語でバロック)が生じたバロック真珠は、廃棄されていた。「形は不均一ですが、だからこそ面白さがあるんです」と橋本さん。バロック真珠を眺めていると、思いもよらぬアイデアが浮かんでくる。持ち前の彫金技術を駆使すれば、独特な形を生かすフレームを作れる。ブタやハチなどに見立てたアクセサリーは、まさに唯一無二。「アコヤ貝の苦労にも報いることができる」とほほ笑む。

2014年(平成26)、橋本夫妻はブランド「miu(ミウ)」を立ち上げ、アコヤ真珠のピンキーリングを開発した。ブランド名は「made in uwajima」の頭文字。クローバーやハートなどのモチーフを取り入れた小指用の指輪は、清楚で年齢を問わず好まれるデザインに仕上げている。「フリーサイズなので贈り物にもぴったりなんです」という、えりかさんの言葉通りに翌年、この商品は「日本ギフト大賞2015愛媛賞」を受賞した。

また、えりかさんが考案した、シルクの組紐と組み合わせたピンブローチも「miu」の人気商品に。昨年行われた東南アジア首脳会議において、各国首脳のパートナーの胸に着けられた。「外務省から連絡をいただいて、びっくりしました」とえりかさんは顔をほころばせる。

夫婦二人三脚で開いていく宇和海真珠の可能性。「誰もがさり気なく身に着けられる、普段づかいの真珠アクセサリーをどんどん増やしていきたい」と瞳を輝かせる橋本夫妻だ。

01_それぞれがテーマを持って製作に取り組む橋本夫妻。えりかさんは一般社団法人 日本真珠振興会認定SP(パールスペシャリスト)でもあり、各種講座などで真珠の魅力を伝えている

02・03_1つのアクセサリーを仕上げるには、いくつもの工程を要する。「細かな作業の連続で片時も気が抜けません」と話す橋本さん

04_真珠本来の潜在的な美しさを引き出すため色調をごくわずかに整えた調色真珠(右上)、無調色のバロック真珠(右下)とセミバロック真珠(左上)。真珠養殖の副産物でケシと呼ばれる無核真珠(左下)も、橋本さんは素材として使っている

05_真珠を生かすために彫金技術と同じくらい必要なのがデザイン力。デザイナーとしての経験も大いに役立っている

06_薬指にはめているのが、真珠の粉をガラスにちりばめた、えりかさんのオリジナル作品。小指で輝くのは「miu」の看板商品であるピンキーリング

07_京都を代表する工芸品である組紐と真珠をコラボ。「全国各地で開催されている展示販売イベントに参加していますが、そこで得た情報や出会いが新たな発想につながっています」とえりかさん

暁工房
住所 愛媛県宇和島市保手5丁目3-3
電話番号 0895-22-3688
営業時間 9:00~18:00(不在時あり、問い合わせ要)
定休日 日曜日
駐車場 問い合わせ要
URL https://www.akatsukikoubou.com  ※オンラインショップで購入可
日本の珊瑚漁発祥の地で水揚げされる血赤(ちあか)珊瑚

その美しい姿から「海のお花畑」とも呼ばれる珊瑚。「樹木のように枝分かれしていたり、色鮮やかであったりすることから、植物と思っている人もいますが、実はれっきとした動物。イソギンチャクやクラゲなどと同じ刺胞(しほう)動物の一種です」と話すのは、珊瑚の宝飾品・工芸品のデザインから製作、販売までを行う株式会社ワールドコーラルの近藤健治さん。珊瑚は、珊瑚礁を形成する造礁(ぞうしょう)性珊瑚と単体で成長する非造礁性珊瑚に大別される。工芸品や装飾品として加工される宝石珊瑚は非造礁性珊瑚の一種で、その骨格は人間の歯ぐらいの硬さがある。

人類と珊瑚の関わりは古く、旧石器時代のドイツの遺跡から、装身具にしたと思われる珊瑚の破片が見つかっている。日本では室町時代以降、上流階級の間で地中海産の古渡(こわたり)珊瑚が普及。1812年(文化9)には、高知県室戸岬で初めて国産の珊瑚が採取された。「漁師の釣り針に珊瑚がかかり、領主に献上されたとの記録が残っています」と近藤さん。しかし当時、江戸幕府は浪費やぜいたくを禁じる倹約令を出しており、土佐藩はこれに抵触することを懸念したのか、珊瑚の水揚げを禁じていた。

明治時代になり、珊瑚漁は解禁されて、高知県内では一気に盛んになる。主な漁場は室戸岬や土佐清水市、宿毛市沖。特に評判を呼んだのは、透明感と深みのある赤色で、宝石珊瑚の最高峰ともいわれる血赤珊瑚。国内の海域でしか採取されず、高知県は最も水揚げ量が多い。珊瑚の一大産地である高知県には、おのずと加工職人も集まり、競い合うことで技術が向上していった。

右より深海珊瑚、白珊瑚、桃珊瑚、地中海珊瑚、ピンク珊瑚、血赤珊瑚。血赤珊瑚は高知県沖など日本の海域でしか見られないもの
ワールドコーラルの店頭に並ぶ血赤珊瑚のアクセサリー。「美しい色味を引き立たせるような、シンプルなデザインのものが人気です」と近藤さん
頭に浮かんだイメージを確かな技術で形に

宝石珊瑚は、太陽光が届かない水深80〜1,200mの深海に生息しており、骨軸の直径は1年間に約0.3㎜しか成長しないという研究データがある。極めてゆっくりとしたスピードで成長することからも、珊瑚の貴重さが分かる。「だからこそ少しも無駄にすることはできません」と話すのは、職人歴40年の堀内強志さん。高知県で開催される珊瑚原木の入札で仕入れた、色も形状もさまざまな原木から型取りをし、カットして彫り込むことで製品を仕上げていく。珊瑚には斑(ふ)(珊瑚の骨)と呼ばれる白い斑点や色ムラ、白濁、深海から引き上げた際の亀裂などがある。「これらが表に出てこないように加工することが何よりも重要」と堀内さん。手先の感覚で、頭の中のイメージを形にしていくという一連の作業は、全工程で高い加工技術が求められる。

堀内さんの工房には、たくさんの原木が保管されている。「どう加工するかを決め切れず、何十年と寝かせているものもあります」という言葉からは、「珊瑚をきちんと生かしたい」という堀内さんの想いが感じられた。

父親が営んでいた工房を弟さんや妹さんと引き継いだ堀内さん。研磨、彫刻などの工程を分業でこなしている
職人の技とデザインがコラボした新しい装飾品

近藤さんは、職人の技を活かしつつ、デザイン性に富んだカジュアルな製品作りにも力を入れている。「10年くらい前から7つのブランドを立ち上げていますが、全て堀内さんをはじめとする高知のデザイナーと職人さんが手がけています」と胸を張る。なかでも20〜30代に向けて展開しているのが、「tente(てんて)」。かつて高知県では、幼児の健やかな成長を願って、手首に珊瑚の腕念珠を付ける風習があった。それをよみがえらせようと考案したのがブレスレット。また昨年には、珊瑚をより身近なものにしたいとカプセルトイでの販売もスタート。いずれも人気だ。

一方で、宝石珊瑚は全てが天然物。生育速度も極めてゆっくりだ。乱獲が進めば根絶やしになってしまう可能性もある。そこで高知県では、採取方法や時期、採取量の報告など漁に厳しいルールを定めて、珊瑚を守ることにも力を入れている。

加えて近藤さんは、2011年(平成23)に漁師や研究者、加工業者、販売業者らが結成した「NPO法人 宝石珊瑚保護育成協議会」に参加。宝石珊瑚増養殖事業「宝石珊瑚の森・育成プロジェクト」を進めている。これは人工漁礁に宝石珊瑚を移植し、成長記録の蓄積などを行うもの。「珊瑚の生態には明らかになっていない部分が多いのですが、こうしたデータを基に珊瑚の養殖につなげることができれば」と夢は広がっている。

高知の宝石珊瑚を未来につなげるために。多くの人に珊瑚の良さを知ってもらい、珊瑚の海を守ることにも力を尽くす。その両方に精いっぱい取り組んでいく考えだ。

01_アクセサリーのデザインにも取り組む近藤さん。人気のお宝鑑定番組で珊瑚専門の鑑定士としても活躍している

02_カプセルトイは1回1,000円。珊瑚のブレスレットなどのアクセサリーを手に入れることができる

03_学生や子育て世代など、珊瑚になじみが薄い人たちにも手に取ってほしいと展開している「tente」

底面が円形になった人工漁礁に珊瑚を植えて海に沈めるプロジェクト。人工漁礁は台所用のボウルなどを使って近藤さんが自作した
株式会社ワールドコーラル
住所 高知県高知市仁井田187-3
電話番号 088-847-5050
営業時間 9:00~17:00
定休日 土・日曜日、祝日
駐車場 あり
URL https://35c.co.jp  ※オンラインショップでも購入可