山陽新幹線の新大阪・岡山間が開業した1972年(昭和47)、その効果か、屋島の観光客数は約246万人に達した。しかし、これ以降は1988年(昭和63)の瀬戸大橋開通、1998年(平成10)の明石海峡大橋開通時に多少盛り返したものの、右肩下がりの状態が続いた。さらに追い討ちをかけるように2004年(平成16)には屋島ケーブルが休止(翌年廃止)される。これを機に観光客数は50万人前後を推移し始めた。
こうした状況を打開するべく、2011年(平成23)に高松市が音頭を取って設置したのが、有識者による「屋島会議」だ。「メンバーは学識経験者や屋島で活動しているボランティア団体、屋島に関わる商工業者など産官学民、多様な29名。現状の問題点を洗い出し、調査・検討を繰り返しました」と説明するのは、高松市創造都市推進局観光交流課観光エリア振興室係長の原宏樹(ひろき)さん。
高松市は屋島会議の答申を基本として、2013年(平成25)1月に、「屋島活性化基本構想(以下:基本構想)」をまとめた。これは産官学民が力を合わせて44事業に取り組むものだ。併せて、廃屋の撤去やアクセスなどの課題に着目し解決方法を探り始めた。
基本構想の44事業は短期、中期、長期と実現までの期間が異なり、主体者もさまざまだ。その事業の一つが、屋島の麓にある高松市屋島競技場の整備。高松市が主体となり実施し、2017年(平成29)には屋島レクザムフィールドとしてリニューアルオープンした。また屋島の情報発信拠点として、ビジターセンターを整備することも高松市主催事業の目玉となった。