江戸時代、庶民があちらこちらを見物しながら訪ね歩く物見遊山には制限がかけられていた。例外的に許されていたのが、寺社参詣のために他国へと往来すること。生まれ育った土地を離れたことのない江戸時代の庶民は、知人らと「講(こう)」という組織をつくって旅費を積み立て、団体で参詣へと出かけた。当時、お伊勢参りと並び人気を博したのが、金刀比羅宮への参詣。「一生に一度はこんぴら参り」ともいわれており、江戸時代の流行作家・十返舎一九(じっぺんしゃいっく)が、自身の参詣の経験を基に『金毘羅参詣續膝栗毛(こんぴらさんけいぞくひざくりげ)』を著したことも、その人気を裏付けている。また、『南総里見八犬伝』の作者である滝沢馬琴(ばきん)は、今でいうガイドブック『金毘羅船利生纜(こんぴらぶねりしょうのともづな』を執筆。こんぴらさん人気を押し上げた。
金刀比羅宮は文人のみならず、画家との縁も深く、特に有名なのは「奥書院」の上段の間に描かれた伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)の障壁画「百花の図(ひゃっかのず)」。「若冲の襖絵は非公開となっていますが、表書院の円山応挙(まるやまおうきょ)や邨田丹陵(むらたたんりょう)の作品(襖絵)は、一般公開となっています(※)」と話すのは、学芸課の東上(ひがしうえ)由佳さん。
「表書院」は萬治年間(1658〜1661)に建てられたといわれる金毘羅大権現の客殿で、さまざまな儀式や賓客の接待のために使用されていた。「全7室のうち5室に応挙の襖絵が描かれており、いずれも技が円熟した晩年の作品。とりわけ山水図と瀑布(ばくふ)図は、部屋の前にある林泉(りんせん)(庭園)との一体感が感じられる名作です」と東上さん。イキイキと舞う丹頂鶴を描いた「芦丹頂図(あしたんちょうず)」、虎たちが清流で水を飲む様子を描いた「遊虎図(ゆうこず)」など、部屋ごとに完成された応挙の世界観に圧倒されるだろう。
※表書院の円山応挙・邨田丹陵の襖絵は2025年(令和7)12月下旬まで見られない。なお、12月15日まで表書院・高橋由一館で企画展を開催中